過ぎ去ったあくる日の神
 僕が彼女と出会ったのは今から三十年以上も昔のことになる。いや三十五……四十だったかな? その辺はちょっと定かじゃないけれど、大勢に影響するわけじゃない。あの当時は今みたいに町中が失業者で溢れることもなかったし、治安維持のためにマシンガンを抱えた兵士達が警邏に出ることもなかった。環境汚染のせいで始終濁っている空を眺めなくても良かったし、病院――昔と比べれば残骸みたいなものだけど――で生まれた子供が一歳の誕生日を迎えられるように祈らなくても良かった。少しずつ世界は傾いていたけれど、まだそれが表面に現れることはなかった。要するに、平和だったんだ。政府は特定財源やらオリンピックの事ばかり話し合っていれば良かったし、僕達は適当に働いて酒を飲んで未来はきっと幸せだろうと思い込んでいるだけで良かった。


 当時の僕は二十歳そこそこの若造だった。今と比べれば世間の事を何も知らない大学のボンボンで、何か人生の目標になるようなことは大学に入ってから決めようと考えていたから、手当たり次第になんでもやっていた。例えば料理屋のバイトとか、老人介護のボランティアとか、一日中昔の人が撮った映画を観ていたこともあったし歴史書を読みまくることもあった。今からすれば馬鹿らしいとしか言い様が無いんだけども。


 その中には山登りも含まれていて、多忙には多忙だったけど僕は週に一度山に通っていた。大学は辺鄙な田舎にあったから、数キロ離れればそんな所に辿り着くこともできた。と言ってもロッククライミングといった本格的なものじゃなくて、簡単なハイキングだ。麓から山頂まで歩いてたどり着いて弁当を食べて帰って終わり。気分と予定を鑑みて泊まるかどうか決めることもあったけれどもね。とにかく僕は週末になると服装を出来るだけ整えておにぎりやらサンドイッチやらの食べ物を準備して、山の入り口から色んな考え付く限りのルートを通り抜けて適当なゴールまで到着することに腐心していた。登ってどうしようとかそういう考えはなくて、ただそうしたくてたまらなかったんだ。景色を見下ろすことが好きだったし、走らないせいで鈍った体に喝を入れる行為も心地よかった。言うなれば、山登り自体が好きだったんだ。


 その日も僕は山頂目指して歩いていた。草木を掻き分け茂みを踏み抜き空を仰ぎながら。彼女と出会ったのは小さな山に通い詰めた末に僕が発見した、誰も辿らないような獣道が延びた所でだった。午前中だったかな、生えた樹木の間から陽光が綺麗に差し込んでいた。前日が雨だったせいで青空が余計に眩しく見えて、それが彼女をより一層際立たせていたのかもしれない。


 彼女は緑色の茂みの中にいた。僕が見つけることができたのは、その近くの木の枝に帽子が引っ掛かっていたからだ。茶色の小さくて可愛い物だった、今でもサイズを覚えている。木にそれが引っ掛かっていてなんだろうと思っていたら、彼女の一部分がちらっと見えたってことだ。胸騒ぎみたいなものを覚えて僕は近づいてみた。


 彼女は横たわっていたよ。脱力してぐったりと、あれだ、人形みたいになっていた。目は開いていたかな。薄目が開いて真っ黒い瞳が見えた……当たり前だよね、日本人なんだから。それでも、彼女の瞳が黒かったということが未だに不思議なんだ。どうしてなんだろう。服装は地味なものだった。リュックサックが近くにあったし白のジャンパーを着て、ズボンは黒だった。あの山はそれほど険しくも無いのに登山靴も履いて、なんとなくほほえましかったよ。


 もう死んでいたことに気付いたのは、彼女の頭が割れて中身が見えていることに気付いた時からだ。すぐ近くに寄るまで頭の裂傷にはまるで気付かなかったんだ。人が倒れていることばかり考えていて、肝心の生死については及ばなかったかもしれない。頭の中身がはみ出ていて、直接の凶器となったのは彼女のすぐ脇にある石のようだった。それを見た時ぴんと来たんだ。多分彼女はここを登ろうとして失敗して、落ちた所で石に頭をぶつけたんだって。それなりに大きかった石は尖っていて、先端には空気に晒されたせいか緑色に変色した何かがこびりついていた。それにしても脳味噌が飛び出るぐらいなんだから相当高くから落ちたと思うよ、もしかして石にぶつからなくても死んでいたんじゃないかな。


 僕は最初彼女の有様をぼんやりと眺めていることしか出来なかった。人間てのは不思議なものでね、自分の理解を遥かに越えた存在を知覚してしまうと硬直してしまうんだ。理性とか正気とか完全に吹き飛んで、それにただ見入るだけ。僕は彼女に見入って見入って、周りの草や地面や服の色やほつれた繊維とかマヨネーズみたいな顔色や顔の上を動き回る蟻の足の一本までも記憶してようやく、自分が見ているものが死体だってことに気付いたんだ。無意識に携帯を取り出していたけど、開いてから圏外だってことを思い出した。というか、画面を見るまで分からなかった。しょうがないからポケットに仕舞ったよ。


 その時、彼女の声が聞こえたんだ。嘘じゃないよ、本当だ。僕の中の神様に誓って言える、彼女の声が聞こえたんだ。子供みたいに甲高い声で彼女は僕を呼んでいたんだ。《こっちに来て》って。僕はどうしようか迷ったけど、彼女が強い口調で呼びかけるものだから従った。草むらを踏み荒らして彼女の近くにまでやってきた。


 そうして彼女のすぐ脇に来てから、彼女は美人だってことを僕は知った。信じられないだろう。顔面が欠けた死体を美しいだなんて。でも見れば見るほど彼女は美しく輝いて神々しく見えたんだ。たとえ脳味噌が地面に垂れ落ちていたって、口が半開きで中にゴキブリが蠢くのが見えたって、それでも彼女の美しさは微塵も損なわれていなかった。その場所が、その服装が、そのシチュエーションが、その状況が全てにおいて彼女を引き立たせていたんだ。今更ながらにそれを悟って僕はびっくりした。草むらに沈む足が、胸の辺りで力なく固まっている手が、何もかもが素敵だった。性的興奮とは程遠い感覚だった。僕のペニスはズボンの中で萎びていて、脳髄は彼女から放たれる美しい気配を出来る限り吸い取ろうと頑張っていた。


 デジカメを持っていれば良かったなあ、って思った。それがあれば何十枚も彼女の写真を撮ることができるし、そうして撮影された彼女の美しさはきっと写真にも感染して素晴らしく見えるだろうって思った。残念だったけど、きっとそのままの方が良かったんだろう。


 僕は彼女を見ていた。ただじっと見て、彼女を目に焼き付けた。それしか出来ることはなかったし、もう彼女は話しかけてくれなかったからだ。それ以降彼女は口を開かなかったからどうして僕を呼んだのかは分からないけれど、多分自分の存在を人に知らしめたかったんだろう。あのままあの場所で朽ちて骨になって土に戻るには、ちょっと可哀想だしね。


 ふと空を見上げたら夕方になっていたよ。山に着いたのは九時ぐらいだったから、七時間近くその場にいたことになる。僕は周囲を見回してここの様子を脳に刷り込んで、ようやくその場を立ち去ることにした。夕映えに照り輝く緑の道を戻っていって、整備された道に出る直前に彼女を振り返った。


 最初に見た時よりも美しく見えたよ。





 次に来たのは一週間後だった。彼女の事を思えばすぐにでも現場に行きたかったんだけど、日常をおろそかにするわけにはいかなかった。それに時間が経ったって彼女は逃げないだろうと確信していたからね。あの山に野犬が出るとかの話は聞かなかったし。自分のペースをできるだけ乱さないように、他の六日を静かに過ごして僕は待った。そしてその日が来て、僕はデートに向かうような足取りで家を出た。


 予想通り、やっぱり彼女はそこにいた。その日は曇りで光は差していなかったけど、彼女の美しさは相変わらずのままだった。


 春先だったから、体中に虫がまとわりついていた。服や皮膚の上はもとより体外にはみ出した脳味噌、靴の中、あと口の中もすごいことになっていた。黒っぽい何かと茶色い何かが彼女の体を包み込んで動いていた。脳味噌なんてもう見えなかったよ。体も溶け出しているのかちょっとぐずぐずのゼリーみたいになっていておかしなことになっていた。普通なら虫を追っ払う努力でもするかもしれないけれど、僕はそうしなかった。何故かって、虫もまた彼女のメカニズムに組み込まれていたからだ。彼女そのものが一つの機械だとすると、彼女の体を食って栄養にしている虫もまたその一部……なんだろう、歯車かな、それになるわけだし、それを追っ払うのは機械の外装を取り払うのと同じようなものだからね。


 僕は彼女のすぐ近くまで歩いてきたけど、虫たちは逃げようとしなかった。僕は座り込んで、彼女の体を、うっすらと見える彼女の骨を、それと彼女の体の上を練り歩く虫の一団をじいっと見ていた。今思い返すとそれは相当に異常な光景なんだろうけれど、あの時の僕はそんなことなんて一ミリも考え付かなかった。ただ見たかっただけだ。幾ら見てもどれほど目に焼き付けても足りなくて、ただただ彼女の神秘さを、彼女が自然に還っていく様子を覚えていたかったんだ。もしかしたら、彼女が完全に消滅してもそこに立ち寄っていたかもしれないね、僕は。


 当時の僕の頭の中では、彼女の姿があらゆる角度から映し出されては再生されてその姿を見出され、動画となっては死体のまま動き回っていた。その場から起き上がって服についた虫を取り払うと、長らく横になっていたせいで随分となまった筋肉に閉口しつつ柔軟体操をして、山を下りると町に向かう。そして彼女がいつも行っているだろう店にその時も同じく向かう。マクドナルドでアップルパイを食べたり、ジャスコとか伊勢丹――今じゃデパートなんて東京の特殊管理地区に行かなきゃ見られないな――で服を眺めたり、川沿いに歩いて太陽の光を浴びたりね。彼女はそのままでいることが一番美しかったけれども、そうして動き回っていても同じくらい優美なものだったよ。


 何回か触れてみようと思ったことがある。彼女の手触りはどうなのか、服の感じはどうなっているのか、脳味噌に触れるとどんな感触が返ってくるのか。思ったんだけども、いつも途中でやめてしまう。それが何故なのか頭では分かっている……彼女の神性を冒すことになるからだ。神様は人の座位にまで降りずに神のまま、一つの完成形でいるから美しい。人間と酒を飲んでいたり言い争いをする神様なんて面白くもなんともないよ。それと同じさ。僕は彼女に触れず、ただ見守るだけさ。


 そうして見ていると、本当に彼女が起き出すんじゃないかと考えたことだってある。僕の眼前で彼女は明後日の方向を向いた顔の位置を直して僕に向き直り、力を入れて人形のはずの体を人間に戻して立ち上がって《何の用?》と聞くんだ。そうしたら迷わず僕は彼女を抱きしめて、彼女が嫌がったり腐った内臓が音を立てて潰れたりしても構わずに首筋に鼻を埋めて臭いをかいでいただろうね。それはとてもとても最高なことで、失神するかもしれないぐらい至高のものさ。でもそんなことは起こらなかった。死体は起き上がらず、虫は消えず、彼女は横たわったまま。地面の上で土に還るのを待っているだけさ。


 僕は見た。見据えた。見つめた。それだけだった。




 何回か彼女の様子を見に来るうちに、僕は彼女の名前を知らないことに気がついた。そうさ、今”彼女”と呼ぶことだって代名詞に過ぎない。彼女の本当の名前は別にあるし、きっとその名前は僕が想像する通り、どんな女性にも名前負けせずにそれでいて目立ちすぎない、彼女の個性を十二分に発揮したものであるはずだ。


 僕は試しに彼女のリュックサックの中を漁ってみた。どうやら食べかけのお菓子が入っていたらしくて虫が中からバタバタと落ちてきたので、それらは手で追い払った。虫どもは折角のご馳走を邪魔されたようでイラついたように僕の周囲を回っていたけれど、そのうち彼女の方に飛んでいった。そうそう、その時の彼女はもう頭皮が失せて骨がちらほら見えはじめていたよ。眼球はとっくに無くなっていたし、体も雑炊をちょっと固めたぐらいになっていた。相手が彼女でなきゃ何回か吐いていただろうし、夢にも出てきただろう。ま、彼女に罹ればそんなハンデも自分を彩るメイクの一つに変えてしまうのだけどもね。


 汚れた緑色のリュックの中を検めていると、底の方から財布が出てきた。軽く中を見てみたら紙幣がぎっしり詰まっていて、カードも財布がパンパンになるまで詰まっていた。これは予測なのだけれど、彼女は一人暮らしでその時は旅行に来ていたんじゃないかと思う。僕の住んでいた辺りはホテルとか民宿とかも多かったからね。それに彼女はそれを伝える友人もいなかった……もしいたとすれば、警察がとっくに死体を回収しているはずだから。もう最初に発見してから一ヶ月ぐらいは経っていたけれど、彼女は僕以外の誰にも見つからずにそこにいた。さっき言った通りだけど、相変わらずの美しい姿で、ね。そう思うと、生前は少し寂しい人間だったかもしれない。もしかしたら仕事場ではいじめでも受けていたかもね。ああ、いじめって知らなかったっけ? いいよ知らなくて、もうみんな忘れた事だしね。


 財布をためつすがめつしているうちに、もしもそれを開ければ彼女の名前だけでなく、住所から行き着けの店に至るまで、何もかもわかってしまうことに僕は気がついた。運転免許証、保険証、どこかの店のメンバーカード、それらは僕の前に取り返しがつかなくなるほど明晰に映し出されるに違いない。彼女の姿と財布を何度か視線を往復させて、それは果たして良い事なのだろうかと自問した。彼女の名前。彼女の家。彼女の趣味。既に虫の餌となって糞となった女神の全てがその中には詰まっている。それは確かに知りたいことのはずだ……しかし、良いのだろうか。僕は考えた。悩んだ。財布を開けるべきか、リュックに戻すべきか、どうするべきか。当時はどうしてこんなに悩んでいたのか分からなかったけれども、今なら分かる。


 多分、神の全てを知ってしまうことが怖かったんだろう。神の事情を解き明かし、彼女を神以外の何かにしてしまうことが恐ろしかったに違いない。それは彼女に触れる事と同じ、神の玉座から引き摺り下ろしてしまうことと同じだ。そうなってしまうのは僕が望んでいたことではないし、そうしてしまえばどうしようもなくなる。あの言語に絶した美しさが消失した後に残る物を目にするのも嫌だったに違いない。そんなのは彼女ではない。もっと違う醜い生き物……いや、死体なんだから生き物ですらないな。ただの脂肪の塊だよ、虫に穢された、ね。


 僕は結局財布をリュックにしまった。リュックはアパートに持ち帰って、近くの川辺に重しをつけて沈めた。僕がその地域に住んでいた時、リュックが発見された話は耳にしなかった。
 




 終末は意外と早くやってきた。とは言え彼女の体にとっては十分遅すぎたようで、もう体の半分は骨になって残り半分は虫の虫による虫のためのバーゲン中だった。虫どもは彼女をむしゃむしゃとうまそうに食っていた。体中を食い荒らして穴を作って巣をこしらえているみたいだった。本当を言えば僕もあやかりたいぐらいだったけど、それはどうでもいいね。


 いつものように僕が彼女の姿を見ていた時のことだった。第六感と言うべきかな、体の深い場所を行き過ぎる何かが反応したんだ。ハンマーで殴られたような衝撃が頭を突き抜けて、僕は咄嗟に彼女から十メートルぐらい離れた場所にある茂みまで走って身を隠した。転げ込んだ際に枝に顔面の皮膚を少しばかり削られて血が出てきたけど、全く気にならなかった。あれほどの激しい感覚に襲われたことはあれが始めてだったし、多分最後だと思う。今じゃ皺だらけでろくに動かないこの体だ、もう黄金時代は過ぎ去ったんだよ。


 息が詰まって胸がつかえて、糸を張り詰めたような長い時間が過ぎてから、がさりがさりと僕がいつもやってくる道のある方角から音が聞こえてきた。虫や風の音が大きいせいで聞こえにくかったのに気付くことができたのは流石というよりも、どうしてだろうと首を捻る比率の方が大きいね。僕の中の本能が気付かせたのか、ただの偶然の産物なのか。音は次第に近づいてきて、次第に緑色の間に見える姿も認識できた。


 それを見た時、あ、もう駄目だ、って思った。僕の中から何かが抜け出て、それはそのまま空の上に消えていった。


 登山しに来た人だろうね、その人は折った枝で草むらを掻き分けながら出てきた。たまに見る顔だったから、たまには別のルートを探そうと思ってこっちにやってきたのかもしれない。既に人間と呼べるかも怪しい形をしていた彼女を一目見た時、彼は動きを止めた。登山者は僕と同じように硬直していたけれど、同じなのはそれだけだった。登山者は一声悲鳴らしきものを口から放つと振り返って逃げていった。枝を放り投げて、それが彼女の上に落ちた。彼は悲鳴を上げながら逃げていって、声が聞こえなくなった頃に僕は草むらから顔を上げた。


 彼女に近づいた。彼女の上にいた虫はさっきまでの闖入者には気にも留めず活動を続けていたし、彼女もただ食われるだけで文句を言わなかった。樹上の葉っぱは風に揺られ、空はいつもと同じような光を注ぎ、僕はその場にいる。世界はいつもと同じだった――あの男と、そいつが投げた枝が存在しなければ。枝は彼女の服の上に乗っかっていた。樺の木だろうが杉の木だろうがどうでもいいが、それはただ彼女の上にあるだけで、それだけで彼女の神性を冒涜するには十分だった。


 その枝は毒を噴出し、彼女がそれまで身にまとっていた異常性を、人知を越えた異質な物を、人でも物でも生き物でもない物をかき消してしまっていた。それは彼女の素晴らしさを全て奪い去り美しさを汚しつくし優美さをかき消していた。それは彼女を神でなくした。


 故意にしろ偶然にしろ、それは彼女をただの死体にしてしまったのだ。


 起こったことが一瞬なのか、それとも数分にかけてなのかは分からないけれど、いつのまにか僕は彼女に対しての興味を失せていた。炎が消えるようにあっけなく、彼女の魅力は損なわれてしまった。彼女はどこにでもある行方不明者の死体となり、どこにでもある死体の一つとなってしまった。特別なものではなくなってしまった。


 僕の中で怒りがこみ上げてきた。どういった種類の物なのかは分からないけれど、それは僕の心から発生して体を覆いそこから空気中に飛び散り世界に散らばっていった。赤と黒が混じった煙みたいなものだった。


 僕は彼女だった物の躯を蹴り上げた。死体は容易にばらばらになり、中に潜んでいた虫がわっと飛び散って逃げ出した。


 更に僕は彼女の四肢を徹底的に踏み付け蹴り上げ蹴り潰し、もう親でも友人でも血を分けた兄弟でも誰が誰だか分からないようにしてしまった。骨を散らばし蹴り飛ばし土の中に押し込んだ。そうして汗を噴出し息を荒げた僕は終いには苛立ちのあまり地面の上に広がった顔面の皮膚をぐりぐりと踏み付け、そうしてどうにか我慢できるようになった頃に遠くから大勢の足音が聞こえることに気付いて逃げ出した。


 家に帰って僕は、家中の家具を破壊して破壊して破壊しまくった。それくらいの憤怒だった。


 以来、もう二度とあそこには立ち入っていない。多分死体は登山者が言っていた形とは違っていることに警察は疑問を抱いただろうけれど、それが僕に繋がることは無かっただろう。怒りと悔しさがどうにか我慢できるものとなるまでに数ヶ月、更に始終頭の中で喚き散らさなくなるまで数年、完全に平静を取り戻せるまでには十年近くかかった。その時までには世界中で暴動が発生して、経済がめちゃくちゃになって、エネルギー問題や地球温暖化問題などはみんなの頭から消えてしまった。なにせ世界中を放射能が覆っているし自称救世主どもが浄化と称して人間を処刑して回っているんだからね、そんな長期的な問題なんてみんな考えもしないよ。僕はみんなと同じく縮こまっておびえながら暮らしているし、挙句の果てに教誨師であるあなたにこれを話している。分かっている、分かっているよ。殺人罪は即刻死刑、僕は話し終えたら地下の処刑場につれていかれて頭をぶち抜かれる運命だ。そんな顔をしないでくれ、婦人を襲ったのは僕なのだし、強姦して殺して埋めようとした所を見つかったのも僕の責任だ。まったく、年を食ったのに変な事をするもんじゃないね。
 まあ、昔のことを思い出すなんて滅多にないし、それを人に話すなんてことはそれ以上に無いことだ。久々に心地良い時間を過ごせたよ、こんな糞便だらけの世の中だけど最後に楽しみがあって良かった。
 

 


 たまに、彼女の絵を描いてみようとすることがあるんだ。


 今じゃなかなか調達するのが難しいけれど、キャンパスを用意して鉛筆を消しゴムを準備して、しゃっしゃと頭の中の情景を写生する。こう見えても絵心はそれなりにあって、小学校じゃコンクールで賞を取ったこともあるんだ。


 とは言え風景を描いて、回りの土を丹念に描きこみ、いざ彼女に取り掛かろうとしてもそこで断念してしまう。長い間悩んで悩んで悩み続け、やがてどうにもならなくなって鉛筆を置いてしまう。諸々の道具を部屋の隅に片付けて彼女を忘れ、一年か二年ぐらいして思いだしたら道具を取り出す。


 困ったことに、あれほど熱心に目に焼き付けようとした彼女の顔を今じゃどうしても思い出すことができないんだ。
復路鵜
2008年04月26日(土) 21時57分37秒 公開
■この作品の著作権は復路鵜さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 回顧録。更にどうせなので色々と付け足してみました。
 しかし話し言葉だとかなり書きやすくて楽ですね。

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Click!! -30 Gytha ■2017-04-23 05:14:34 5.188.211.170
Click!! 30 Teyah ■2017-04-23 02:05:44 5.188.211.170
Click!! -20 Bubber ■2017-04-22 18:24:46 5.188.211.170
Click!! 50 Jaylynn ■2017-04-22 18:11:34 46.161.14.99
Click!! Click!! 30 Teige ■2017-04-22 16:13:28 5.188.211.170
Click!! Click!! Click!! 30 Deandra ■2017-04-22 12:33:55 5.188.211.170
Click!! 50 Eliza ■2017-04-22 12:29:51 46.161.14.99
Click!! -30 Kalie ■2017-04-22 11:36:55 5.188.211.170
Click!! Click!! -30 Becky ■2017-04-22 10:54:23 5.188.211.170
Click!! Click!! Click!! Click!! 30 Minnie ■2017-04-22 09:35:20 46.161.14.99
Click!! Click!! Click!! -20 Geralynn ■2017-04-22 08:49:59 5.188.211.170
Click!! Click!! Click!! Click!! 50 Jalia ■2017-04-22 08:13:36 46.161.14.99
Click!! Click!! Click!! -20 Bertie ■2017-04-22 06:39:12 46.161.14.99
Click!! Click!! Click!! 30 Doll ■2017-04-22 00:37:21 5.188.211.170
Click!! Click!! Click!! Click!! -20 Ellyanna ■2017-04-21 22:38:13 5.188.211.170
Click!! Click!! Click!! Click!! 10 Katty ■2017-04-21 22:13:27 5.188.211.170
Click!! 50 Lovie ■2017-04-21 21:54:25 5.188.211.170
Click!! Click!! 30 Nash ■2017-04-21 21:47:45 46.161.14.99
Click!! Click!! Click!! 30 Cassandra ■2017-04-21 18:20:49 5.188.211.170
Click!! Click!! Click!! Click!! Click!! 50 Chartric ■2017-04-21 17:12:31 5.188.211.170
Click!! Click!! Click!! Click!! Click!! 30 Aggy ■2017-04-19 12:58:50 5.188.211.170
Click!! -30 Taimi ■2017-04-19 12:48:10 46.161.14.99
Click!! Click!! Click!! Click!! Click!! 10 Parthena ■2017-04-18 22:42:32 5.188.211.170
Click!! Click!! Click!! 30 Stretch ■2017-04-18 22:21:16 46.161.14.99
Click!! Click!! Click!! Click!! Click!! -30 Cady ■2017-04-18 21:10:04 5.188.211.170
Click!! Click!! 30 Mahalia ■2017-04-18 20:08:05 5.188.211.170
Click!! Click!! -20 Lorena ■2017-04-18 19:18:55 5.188.211.170
Click!! Click!! Click!! Click!! Click!! -20 Aileen ■2017-04-18 19:14:43 46.161.14.99
合計 1110
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