モノローグの人々
 【■■社刊行『おぞましき話 其の弐 第十三話 キツネ』】


「そうですね、きっかけは旅行だったんだと思います」と秋山さんは語り始めた。「私と智子は大学一年からの付き合いで、ちょうどその時期は冬休みだし、すごい暇だったんですね。お金もそれなりに溜まっていたから、じゃあ女二人で旅行でもしようかって事にしたんです。場所は○○県の……山奥にある旅館です。そこ、すごく鍋が美味しいって評判だったんです。ちょうど二月の半ばだったから、寒い時期に食べるお鍋は最高だろうって、二人して騒いでました」


 秋山さんと智子さんは早朝から電車とバスを乗り継いで旅館へと向かった。しかしその途中、智子さんが途中で一度降りようと言い出した。そこは雪が降り積もった、お世辞にも大きいとは言えない町だった。


「あんまり面白くなさそうだからやめたほうがいいんじゃないかって私は思ったんですけど、……智子は大分乗り気で、なんでしたっけ、ものみの丘だったかな? 車窓から見えたそこがとても綺麗で神秘的だって言ったんです。それにあんまり早く旅館に着いちゃってもやる事なさそうだし、だからなし崩しに途中下車しちゃって」


 それなりに電車に乗っている人間はいたのだが、その駅で降りたのは秋山さんと智子さんだけだった。


「もう笑っちゃうぐらい辺鄙な所でした。広くはなかったんですけどバスの本数も住んでいる街に比べたら冗談みたいに少なくて、結局歩いていきました。途中の店で肉まんを買って、温かいお茶で流し込みながら」


 いよいよものみの丘に辿り着いた時、秋山さんはその景色に目を奪われた。


「丘自体はそれほど高い位置にあるわけじゃないんですけど、高いところから見下ろすってあんまりないから見とれちゃいましたね。よく高いところから見下ろした時にプラモデルみたいな町並みって表現しますけど、まさにその通りでした。智子なんかおおはしゃぎで、すごいすごい、マジすごいよこれって子供みたいに騒いでました。雪は深かったんですけどそれも全く気にならなくて、丘中全部見て回ろうって気持ちでぐるぐる歩き回りました」


 智子さんの様子がおかしくなりはじめたのは、丘の外れにある斜面を下っている所だった。


「突然智子がぐぅって呻き始めて、しゃがみこんで『気持ち悪い、気持ち悪い』って言い始めたんです。喉を鳴らして、もう一気に顔も青ざめさせて。それまでは元気に歩き回っていたのがいきなり言い出すもんですから、びっくりしました。冗談という風でもないし、どうしたらいいのかすごく混乱しました。そんな現場に居合わせたことなんてないですから。『もうやだ、気持ち悪い、痛い、助けて』って智子はずっと繰り返してました。もう完全に意識というか意志が飛んじゃって、私の言葉にも反応しないで」


 ふと秋山さんの脳裏に、以前智子さんが幽霊が見えると話していた事が浮かんだ。最初に出会った時彼女は笑顔でそう言い、子供の頃は止まれの標識に人魂が絡みつくものだから怖くてそこを通れなかったの、とぺらぺら喋っていたことを思い出した。それまでは単なるジョークとして処理していたのだが、途端にそれがぐっと強く秋山さんの中でイメージされ、厄介な事態がより複雑さを増したように思われた。


「頭の中真っ白になっちゃって、もうダメだ救急車呼ぼうと思って携帯電話開こうって思ったら……智子、いきなり立ち上がったんです。ぶるぶる震えて、それで……」


『ぐげえぇぇ』と先ほど食べたばかりの昼飯を戻した。


「さっきからびっくりしっぱなしでどうすればいいのか分からないから、とりあえずもう一回背中撫でようと思って手を伸ばしました。そしたら智子、手が触れた途端にぎゃって叫びだして、ばーって斜面を下っていきました。慌てて後を追いかけました、もうがむしゃらでしたね。あんなに早く走る智子を見たのは始めてでした。雪の上をぴょんぴょん跳ねるように走って……動物でしたよ、あれは。私はそのうち雪に足を取られて転ん、見失いました。顔を上げたらもう智子はいませんでしたね。どこにいけばいいのか分からないから辺りをぐるぐる回っていたんですけど、そのうち丘の入り口近くにいたのをようやく見つけました」


 智子さんは灰色一色の空を見つめながら『ようこ……』と呟いていた。秋山さんが声をかけると驚いた顔であれ? どうしたの? と口にした。その顔はさっきまで食中毒のように苦しみながらしゃがみこんでいた者のそれではなかった。少なくともそう見えた。


「それからがおかしいんですよ。智子はさっきまでの記憶がまるでないらしくて、吐いたとか言っても何それ? 寝ぼけたんじゃないの? って言うばかりで話が通じなくて……それで、さっきの事情をとにかく説明して、体調不良かもしれないし今日は旅館キャンセルして帰ろう、って無理矢理決めました。そうでもしないと絶対に引かないだろうって思って。彼女、この旅行すごく楽しみにしてましたから」


 何度も説得すると最後には智子さんもしぶしぶ従い、旅館にキャンセルの電話を入れると行きとは逆の交通ルートで家まで帰った。それまでの間、始終智子さんは『やっぱりキャンセルの電話無しにできない?』『私が吐いたとかウソじゃないの?』と言い続けていた。


 智子さんが死んだのを聞かされたのはそれから一週間後のことだった。


 そういう種類の事情に詳しい友達からそれを聞かされた秋山さんはいきなりのニュースに驚く気力も起こらず、呆然としながら話を聞いていた。


「旅行から帰って三日ぐらいはなんとも無かったんですけど、四日目からおかしくなってきたらしいです。箸が使えなくてスプーン使うようになったり、本の文字が読めなくなったり、うまく喋れなくなったり……なんというか、子供に戻っちゃったみたいです。私はその時、別の用事で暫く留守にしていたんで全然分かりませんでした。母親がこれはおかしいって悩んでいた所で智子がすごい高熱を出して。大変だ、病院に連れていかなきゃって救急車呼ぼうとしたら……彼女、信じられないんですけど、暴れだしたんです」


 家の中をまるごとひっくりかえす、颱風のような凄まじい暴れ方だったと言う。心配した智子さんの彼氏が家に来ていたのだが、智子さんはまず彼氏をイスで殴り倒し、それから家族に襲い掛かった。父親は単身赴任に出ていたために、家には母親と姉しかいなかった。なすすべのない姉と母親をイスで何度も殴りつけた後で智子さんはイスを放り投げ、仕舞ってあった包丁を取り出すとそれで倒れていた彼氏を刻み始めた。意識を取り戻した母親は姉を連れて逃げようとしたが、既に姉の頭部は高いところから落としたスイカのようになっていたので諦めた。母親は一人で這いずって逃げて隣の家の住人に凶行を伝え、再び失神した。


 駆けつけた警察官が目撃したのは、刺身を作ろうとして失敗したような彼氏の遺体と、フライパンによって頭部を完全に破壊された姉の遺骸と、自分の首をぼろぼろになった包丁で突き刺し事切れた智子さんの姿だった。


「話を聞いてる間、あのものみの丘での出来事がぐるぐるぐるぐる頭の中を回っていました。ああ気が狂っちゃったんだ……私のせいで智子が狂っちゃった……ってそれしか考えませんでした。いてもたってもいられなくなって、その日のうちにまたものみの丘に行きました。なんとしても智子が狂った理由を解き明かしたいって思ったんです」


 再び丘に辿り着いた際、あれほど積もっていた雪は大部分解けており、地面から生えた草がよく見えた。冬だというのに生臭い風が吹き付けて、別な意味で寒気がした。秋山さんはこの前智子さんが体調不良を訴えた場所を探して歩いて周り、夕暮れ近くになってようやくそれを見つけた。


「斜面の所に出来ていた、何というか……穴みたいなものでしたね。きっとこれだって思ったんですけど、動物ぐらいしか通れる隙間が無くて。懐中電灯の光でも全然見えないんで、しょうがなく周りを手で掘り始めたんです。目に付いたものだけ持って来たんで、使えそうなのは懐中電灯ぐらいしかありませんでしたから」


 穴からは僅かに発酵したチーズに似た臭いが漂っていたが、掘るに連れてより強く、より強烈な悪臭に変わっていった。目に染みるような激臭を嗅いだ秋山さんは、やはりこれに間違いないと思った。爪が土塗れになり、手が赤くなり傷がつきはじめても、秋山さんは掘り続けた。夜も更けて月が空の中で自己主張しはじめた頃、ようやく目的の物を発見した。


「ずっとずっと掘っていたら、いきなり空洞に突き当たって、土がごそりと落ちたんですよ。やっと奥まで来たんだって安堵して、懐中電灯で照らしてみました」


 穴の奥は小さい動物なら寝そべられそうなスペースがあり、そこには狐が横たわっていた。電灯を向けても微動だにしないことから、死体だとすぐに分かった。


 完全に狐は腐乱状態にあり、表皮を蛆の群れが張っているのが見えた。顔面の皮膚が引き攣れて肥大化しており、まるで強酸を浴びた畸形の犬のようだった。穴の中に立ち込めていた死臭は出口を求めて秋山さんの下へ押し寄せ、同時に体の中に巣食っていた蝿もまた懐中電灯に向かって飛んできた。慌てて秋山さんは避けた。


「あれを見つけた時、ああ、これだったんだなあ……って思いました。きっとこれが智子を狂わせたに違いないって、はっきり確信しましたね。あの腐った死体が智子をおかしくさせたんだって。その死体はうーん……普通のものじゃないんですよ。何か《悪い》ものがその死体にはあったんです。悪魔とか、悪い神様とかそういうの」


 秋山さんは最初死体を壊そうかと思ったが、祟りが起きたり悪霊になったりしたらいけないと思い、とりあえず手を合わせてから改めて別の場所に埋葬することにした。秋山さんは異臭を我慢して穴の奥に体を押し込み、手袋をはめた手で狐の遺骸を取り出そうとした。


「その時、狐の死体がぴくって動いたんですね。よく寝起きに動物がぴくって反応しますよね、あれです。えって思ったら狐がこっちを向いたんですよ。死んでるのに」


 秋山さんが反応できないうちに、既にぐずぐずになっていた口から腐敗したガスを含むげっぷが浴びせられた。それが何であるか理解できないうちに脳のスイッチが切れるように、秋山さんは失神した。


 眩暈と頭痛とともに目を開けると、狐の死体はどこにもなかった。探してみたがどこにも見つからなかった。


「多分逃げたんだと思いますよ。もしかしたら、私が改めて殺そうとするとでも思ったのかもしれません」


 もう時刻も遅いのでカプセルホテルで一泊し、始発の電車で帰った。


 後に行われた智子さんの葬儀は密葬で済まされ、数人の関係者しか集まらなかった。


 狐は今でも見つかっていない。





【水瀬家二階 祐一の部屋から見つかったメモ】


 名雪のあだな→花子(もう使った)、寝ぼけ太郎、猫女(褒め言葉?)、目覚まし百個太郎


 小遣い→残り二千五百円、繰越は出るか?


 学校アドバイザー候補→香里、北川、斉藤 名雪(期待できるか?)


 真琴→しばらく家か、同居人? 次のイタズラは?


 そういえば、あいつ意外と胸大きいのな。


(女性の胸を模したような絵が描かれてあり、『ぼいんぼいん』と擬音が振ってある)




【真琴の日記】


 一月■■日


 あうー。


 今日からまことは日記を書くことにしたの。なんかゆーいちが記おくそう失にはこうしたほうがのうみそのさいぼうがかっぱつかして思い出しやすくなるんじゃないかって言うから、仕方なくまことはこれを書くの。


 でも何書いたらいいかわかんない。


(この後、花や人の落書きのようなものがページのいたるところに描かれている) 


 まことは秋子さんの家に今いるの。お腹がぐーってすいてゆーいちを見つけたから倒そうとしたんだけど、だけどやっぱりお腹へってきゅーってなって、そしたらここにいたの。起きたらなんか食べようと思ってれいぞうこ見てたんだけど、そこでゆーいちに後ろからこうげきされたの。不覚だったわ。


 でもその前のことはぜんぜんおぼえてないの。なんでかわかんない。気付いたらあそこにいて、すぐ近くにゆーいちがいたの。だからうがーっておそいかかったけど、空腹にはかてなかったのよう。今日はごはんたくさん食べたから、もうゆーいちには負けないわね。


 あうー。むずかしいなあ、日記って。ぜんぜん書き方わかんない。


 あ、そういえば。


 今日ゆーいちの部屋でマンガがたくさんあったから読んでたんだけど、とつぜんへやにゆーいちが入ってきたのね。ノックもしないなんて失礼なヤツ!


 まことはレディだから気にしないで読んでたんだけど、そしたらゆーいちがあたまをくしゃくしゃってなでたのね。くしゃくしゃって。


 それがなんか変な感じだった。


 なんだろ……うーん、よくわかんないけど、へんなかんじ。ぞわぞわってするような、ぶるぶるってするような、気持ち悪い気分。


 あ、マンガにでてくるセクハラオヤジになんか似てるかも。


 ゆーいちってばオヤジだったのね。


 あとでまことがとっちめてやらなくちゃ。





【水瀬名雪の日記】


 一月■■日(■)


 今日も祐一に起こしてもらう。祐一が来てからはいつも起こしてもらってばっかりだったから、これじゃいけないって思って目覚ましを五個ほど増やしたけど、あんまり効果が無い。うーん困った。いつまでも祐一に起こしてもらうのは楽しいけれど、なんだかよくない気がする。


 朝は昨日より早く学校に着いた。出た時間はほとんど変わっていなかったから間違いない……と思う。もしかしたら走るになるかもしれない。でも、祐一に言ったら……祐一はめんどくさがりだから、言い出したら嫌な顔をするかもしれないし、もっと早く私を起こそうとするかもしれない。黙っていよう。


 お昼休み、香里から音楽CDを幾つか貸してもらった。今これを書きながら聞いているけれど、なんだか心地いい。ピアノのぽろんぽろんって鳴る音が頭の中に染み入るし、のんびりした調子が落ち着いて、なんだかねむく  な   ち


(濡れた跡がある)


 ちょっと寝てしまう所だったからプレーヤーを切った。こんなところを祐一に見つかったらまたバカにされちゃう。


 夕食、あの子の様子が変だった。


 いつも騒がしくて食卓を楽しませてくれるけれど、今日は静かでなんだか元気が無かった。箸を何回も床に落として、その度に悲しそうな顔をしている。祐一もお母さんも何も言わないけれど、やっぱりショックなんだろう。それを繰り返したら、あの子は泣きながら部屋に行ってしまった。


 今はもう、祐一が励ましただろうから元気になっている……と思う。


 心配だ、後で私が持っているねこさんぬいぐるみを一つ貸してあげようか。それともキーホルダーの方がいいだろうか。ねこさんはかわいいからどっちも同じくらいかわいく見える。どうしよう。


 ノックの音がする




 
【水瀬秋子の日記】


 一月■■日 ■曜日


 なかなか難しい一日だった。


 朝はいつも通り朝食の準備をして、名雪と祐一さんを送り出す。この前までは名雪を起こすのにとても苦労していたのだけれど、祐一さんが来てからはかなり楽になった。とても嬉しいことだけど、なんとなく複雑だ。私よりも祐一さんに起こしてほしい、と名雪が無意識に言っているような気がする。そういえば、あそこまでよく眠る癖は誰に似たのだろう? あの人はそうでもなかったから不思議だ。


(考え事をしていたのか、ページの上に鉛筆で描いたような丸が幾つかある)


 その後、真琴ちゃんを外に送り出す。彼女がもう保育園に通っていないことは知っている。保育園から真琴ちゃんがいつまでも来ないから、もう結構ですと電話で告げられた。早すぎたのだろうか? それとも記憶がないのにこんなことをさせようというのがそもそも無謀だったのだろうか? 真琴ちゃんには電話があったことを告げようか告げまいか迷った挙句、何も話していない。私は何事もなかったかのように送り出し、また真琴ちゃんも送り出されるだけだ。きっと真琴ちゃんは外で適当に時間を潰して、祐一さんと合流して、家に帰ってくるのだろう。それを想像するとなんともやりきれない。


 私の態度は逃げなんだろうか。真琴ちゃんときちんと向き合おうとしないで、厄介な問題から目を背けているだけなのだろうか。考えたけれども答えは出ない。やめよう。もう少しじっくり時間をかけなければいけない問題だし、話し合わなければならないことだ。
 

 今の真琴ちゃんには難しいかもしれないが。


 その後は仕事に出て、夕方前に帰宅。特に書くほどの事はなし。


 今日の夕飯はスプーンでも食べられるピラフにした。真琴ちゃんは最近箸が使いにくくなっているけれど、一体どうしてだろう。分からない。手が疲れていると真琴ちゃんは言うけれど。


 食事の最中、スプーンを何度も落とし、それと一緒にコップも床に落としてしまったのを切っ掛けに、真琴ちゃんはスプーンを床に投げつけた。叱ろうとした祐一さんに真琴ちゃんはピラフを皿ごと放り投げた。慌てて祐一さんは身をかわし、真琴ちゃんは二階に逃げていった。祐一さんはすぐに追いかけようとしたけれど、私は制止して冷静になるよう言った。今の祐一さんが真琴ちゃんに近づけば、確実に怒ってしまうだろう。そうしたら真琴ちゃんはますます縮こまって、祐一さんにも心を開けなくなってしまうだろう。今の真琴ちゃんが一番好意を寄せているのは祐一さんなのだ。できれば彼には、心を落ち着けて向かい合ってほしかった。


 私の説得が功を奏したのか、祐一さんは多少なりとも考えを落ち着かせて、飛び散ったご飯を片付けてから改めて二階に行った。あの様子ならきっと大丈夫。


 だけど、どうして真琴ちゃんはあれほど癇癪を起こすようになってしまったのだろう?


(丸や四角、ハテナマークなどの落書きがページ脇に書かれ、塗りつぶされている)


 昨日や一昨日や三日前も、確かに真琴ちゃんは癇癪を起こしている。歯ブラシを壊したり漫画本を破いたり、ガラスのコップを割ったりもしていた。その度に泣き出した真琴ちゃんはその場で地団駄を踏むか、二階の自分の部屋に逃げていく。どうしてだろう? 思えば、それ以前からどこかおかしかった気がする。何時と無くこの異常は私たちの生活に入り込んで、とうとう根を張ってしまったみたいだ。


 今の彼女は箸が使えないし、歯ブラシを使うのにも相当苦労しているようだ。それに、あまり笑ったり怒ったりする所(癇癪を起こす時は別として)も見ない。それまでの真琴ちゃんは感情豊かに家の中で振舞っていたのに、今ではだんだんとそれも失われてきている。


 真琴ちゃんから失われているのは……表現するのは難しいけれど、人間性とか、そういった物のような気がする。道具を使えなくなって、笑ったり悲しんだりとかいう感情が薄くなって、まさにその通りのように見える。


 名雪にその概容を伝えてみたけれど、あの子はそう思っていないらしく、病気の線が強いと思っている。確かにそうだろう……私は病気についてはよく知らない。何か知らない厄介な病気にかかっている可能性もあるのだ。いずれにしても、今の真琴ちゃんはおかしい。


 それに祐一さん……ここにすら書いていいのか戸惑うけれど、彼の真琴ちゃんに対する態度も、少しおかしい気がする。前よりも真琴ちゃんに対する距離が小さくなっている……というよりは、べったりとくっつくことが多くなってきている気がする。それに、真琴ちゃんをよく触っている。しかし、それはそれでいいのかもしれない。今の真琴ちゃんには心の底から信頼できる人が必要なのだ。祐一さんがそうなってくれれば安心できる。名雪が祐一さんに抱く特別な気持ちがあるとしても……今の真琴ちゃんには祐一さんが必要だ。


 だけど、彼の本心はどうなのだろう? もし、私が考えている以上の物を彼が持っているとしたら? 例えば■■■■■■■■■(完全に塗りつぶしてあるせいで判読不可能)


 やめよう。これ以上は彼を傷つけることと同じだ。


 明日か明後日か、私の気持ちが少しでも変わっていたらページを千切ってゴミ箱に捨ててしまおう。


 もし変わっていなかったら……それは考えたくない。





【二月■■日 水瀬家近隣住人の証言】


「水瀬さんたち? ええ、いい人たちでしたよみんな。そうですね、娘の名雪ちゃんは礼儀正しくて、見かけると欠かさず挨拶してくれますしねえ。女手一つであそこまで育てたんだもの、秋子さんは立派なものですよ。早くにご主人をなくされてあんなにショックを受けてたのに、しっかり立ち直ってあんな良い子供を育てたんですもの。母親の鏡ですよ。


 そうそう、最近あそこの家に祐一君……でしたっけね、その子が居候してたんですけど、あの子もいい子でしたよ。いつも行動がはきはきしてましたし、うちの娘もあんまり悪い感じじゃないなーって見てましたし……ああ、関係ないですね。とにかく、みんないい人たちでしたよ。


 でもあの子、ええと、名前忘れちゃった。なんか髪が長くてツインテール、だったかしら。そういうのにしてた子なんだけど、あれはうるさかったですよ。なんでも記憶を失ったからしばらくの間家に泊めるってことになってたんですけど、時間が経つにつれてぎゃんぎゃん騒がしくなっちゃって。家が隣同士だと大きな叫び声は聞こえちゃって……ええ、窓を閉めてても届くんですもの。ちょっとなんとかしてほしかったですねえ、あれは。なんだか私たちも悪い気がしてきますから。


 それに終いまでくると家の中で暴れまわることもあったみたいですしねえ、ええ、回覧板届けにいったことあるんですけど、もう酷くて酷くて。泥棒でも入ったのかって一瞬思いましたよ。その時の秋子さんは、なんだかやつれちゃって。頬がこけて見えるんですよ。ちゃんと食べているのかしらって心配になりましたね。祐一君や名雪ちゃんはそうでもなさそうでしたけど、やっぱり秋子さんは他の家族と比べて家にいるの多いですから……とばっちり、じゃないわね、やっぱり苦労も多いでしょ。


 まあこれ本人の前では言えませんけど、やっぱりいなくなって良かったんじゃないかしらって思います。ええ、あんなに大騒ぎしてたんだもの……きっと秋子さんもほっとしてたと思いますよ。二回くらいうちの人が文句言いに行こうとしてましたから、相当でしたよ。


 でも、まさかあんなことになるなんてねえ……残念ですよ、ほんと」





【真琴の日記、文字が震えているため判読は難しい】


 いちがつ■■にち


 おさらいっこ、コップふたつ、本いっさつ。


 今日、まことはこれをこわした。本はびりびりにやぶいて、ゴミ箱に捨てちゃった。


 なんでこわしたのか、じぶんでもわかんない。手がつるってすべって、そしたら床の上でがしゃんってこわれちゃった。そしたらまことはびっくりして泣いちゃった。


 あきこさんもなゆきもかなしい顔をしていて、それがすごくつらい。


 ゆーいちもすごくおこる。おこるし、まことのことをべたべたさわる。いつものゆーいちはすきだけど、今のゆーいちはなんかきらい。おこってるくせにおこってないって言うし、よくわからない。


(ページ脇に四角や丸をごっちゃにしたような落書きが描かれている)


 まこと、まことがよくわからない。おこりたいのかなきたいのか、ぐちゃぐちゃになってわからない。ゆーいちにイタズラしてたころにもどりたい。


 もっとおぎょうぎよくしなきゃ。


 これももう書きたくないけど、ゆーいちが書かなきゃ手のうごきがよくならないって言うから書いてる。


 はやく手がもどればいいなあ。


 はやくいいこになって、ものをおとさないでたべられるようになれればいいなあ。


 はやくあきこさんやなゆきやゆーいちといっしょにごはんが食べられるようになりたいなあ。


(この後、二ページに渡って延々と漢字が書かれている)





【一月■■日 水瀬名雪の携帯電話から美坂香里の携帯電話への電話(20:31)】


「あ、香里?」


『もしもし名雪? どうかした?』


「うーん、特別何かあるってわけじゃないけど……今日の数学の授業、どうだった?」


『んー、そんなに難しいわけでもなかったわね。前の時間の数式の応用だったけど、予習復習をきちんとやっていたから。どう? 今日は当てられなかったみたいだけど、名雪もそういうのちゃんとやってる?』


「あ、あはは……わたしは、あんまり」


『ダメよ、もうすぐ三年になるんだから。いくら眠くても予習復習はきちんと! 大学落ちて予備校通いなんてイヤでしょ〜? 今からしっかり習慣付けなきゃ!』


「うう……反論できないよ……」


(何かが割れる音 叫び声 泣き声が重なる)


『……ところで、あの子はどう? 前に学校に来てた、あの相沢君の妹みたいな子』


「真琴? うん、……ちゃんと、いい子にしてるよ。大丈夫、心配いらないから」


(叱責する声、より大きくなる泣き声 箒で床を掃く音)


『そう? なんかあんたの後ろで変な音が聞こえるけど、まあ気のせいね。…………あたしが言うのもなんだけど、そのね、困ったらちゃんと誰かに相談するのよ? 一人で抱え込まないこと。名雪の場合、溜め込んで溜め込んでバクハツってケースが多いから。あんたの友達はあんたのことを心配してあげてるの。好意は無碍にしないことよ?』


「うん、ありがとう……ねえ香里」


『ん?』


「明日学校でさ、祐一に同じこと、それとなく伝えてあげてほしいんだ。わたしより、うーん、祐一、辛いと思うから」


(すすり泣き 謝罪する声)


『そうね……あんたほど包容力があるってわけじゃなさそうだし。あ、そういえば名雪』


「どうしたの?」


『あんた、一年に知り合いとかいたっけ?』


「ううん、いないよ? どうかしたの?」


『そう……いや、友達から聞いたんだけど、相沢君、今日一年の女子と何か話してたのを見たんだって。ああ、浮いた話とかそういうのじゃないわよ。ただ本人たちは真剣な顔で話し合ってたから、名雪も関係あるかなって思ったんだけど……その様子じゃなさそうね』


「そうかも。わたしもわからないし、明日陸上部の女子に聞いてみたほうがいいかな?」


『やめときなさい。人の何とかを邪魔すれば馬に蹴られる、よ』


「うー、浮いた話じゃないって言ってたのに……」


『冗談冗談。そんなに気にするほどのものでもないでしょ。じゃあそろそろ切るわ。おやすみ、名雪』


「うん、おやすみ」


(電話を切る直前に再び聞こえる叫び声 今度はより大きい)





【真琴の日記、判読は非常に難しい】


 すごくいたい


 すごくつらい


 すごくかなしい


 ゆーいちがすごくいたくてぎゅうってなっちゃうことをした


 なみだがとまらないけれどどうしたらいいのかわかんない


 なんでこんなにいたいの


 げえってぜんぶだしたいのにだしかたがわからない


 よくおもいだせない あたまのなかが(判読不能)にまっかっかになってやけてるみたい


 まんがにかいてあるみたいにむねがはりさけそう


 だけどこんなのしらない


 まことがされたことはまんがにはかいてない


 ゆーいちはわらってた


 わらいながらゆーいちは ありがとうなまこと っていった


(顔のような落書きが描かれ、それに強い筆圧で×印がつけられている)


 なにがありがとうなのかわかんない


 いたくてねむれない


 ちがじわじわでてきてしめってる


 どこをみてもゆーいちがわらってるきがする


 こわい


(判読不能)のにゆーいちはにこにこしてる


 ゆーいちなんかしんじゃえ


 しんでくさってぐちゃぐちゃになってむしみたいになってふまれてぐちゃぐちゃにな


(これ以降、判読不能の文字らしきものが三ページ続けて書き殴られており、ページは何かを擦りつけたようにしわくちゃになっている)





【水瀬秋子の日記】


 一月■■日 ■曜日


 真琴ちゃんが熱を出した。


 いつもは朝食の時間になると降りてくるのだが、今日に限っては朝食を終えても顔を出さなかったから、心配になって様子を見に行った。すると真琴ちゃんは部屋で布団に包まっていたのだけれど、その様子がどう見てもおかしかった。すごい高熱を出していたし、水を飲ませようとしてもすぐに戻してしまうのだ。


 職場に今日は休ませてもらうよう電話をして、一日中ずっと真琴ちゃんの看病につきっきりだった。何度も吐いてしまうのでご飯を食べさせるのは苦労したけど、必要最低限はどうにか食べさせた。薬を飲ませてできるだけ安静にさせているが、明日以降も熱が続くようなら病院に行くことも考えないといけない。


 そのことを祐一さんや名雪に話してみたが、祐一さんは意外なことに真琴は家に置いて欲しいと話した。どうしてなのか私が訊ねてみると、祐一さんは口ごもってから、真琴ちゃんのこれまでの事情を話してくれた。以前は狐であったこと、祐一さんを慕って人間になったこと、熱を出すことによって命が失われてしまうこと。


 正直言って、最初は面食らった。なにせ狐が人に化けて街まで降りてくるというのだ、しかも人からの好意をきっかけにして、人の愛情を求めて。話だけ聞けばホラかウソにしか思えなかったけれど……私は信じた。祐一さんの言葉は真剣そのものだったし、それに真琴ちゃんの姿に私は誰かの影を見ていたことをうすうす気付いていたからだ。それがあの狐だったのだ。


(六〜七年前、冬、と枠外に書かれている)


 それに……あの場面で祐一さんの言葉を信じないことは、それまでの祐一さんを否定することに繋がるような気がしたのだ。そしてそれは同時に、祐一さんに対して抱いていた否定的なイメージをぶり返させる気がした。だからそれを無くすためにも、私は彼の言葉を信じるしかなかったのだ。私の彼に対する疑念を晴らすために、彼の言葉を信用した。それは逆説的かもしれないけれど……だけど、彼の言葉はそれを抜きにしてもウソとは思えない。


 祐一さんは事情を打ち明けると共に、できるだけ長い間一緒に居たいから、今日から真琴と同じ部屋に布団を運びたいし、看護も自分がやりたいと言った。私は了承し、今では祐一さんは真琴ちゃんと同じ部屋にいる。きっと今夜は布団を並べて眠り、明日も明後日もできるだけ一緒にいるだろう。そして彼は真琴ちゃんの苦しみを取り除こうと努力するのだろう。


 だけど、二人には時間がどれだけ残されているだろうか?


 今日一日、真琴ちゃんはずっとうつらうつらとして、熱が上がったり下がったりの繰り返しだった。それでも彼女は何かを口にする気力があったからこそ、私はぎりぎりで救急車を呼ぶことを抑えたのだ。もしこれが……明日も、その後も続くようだったら、どうなるだろう? 彼女はどうなってしまうだろう?


 きっと、その結末はとても悲しいことだし、辛いことだ。


 七年の間想いだけを積み重ねて待ち続け、記憶と命を引き換えに人間になって再会できた挙句がこんなことだなんて、誰が許せるだろうか? それを神様が許すとしたらどれほど残酷なのだろう? 神様はかつての私とあの人と同じように、祐一さんと真琴の間を引き裂く積りなのだろうか?


(ページ上に名前が書かれ、棒線で消してある)


 ……昔の事を少し思い出してしまった。あの人が死んだ時の事。


 もう眠ろう。明日は腕によりをかけて美味しいご飯を作ってあげなくては。





【水瀬名雪の携帯電話 未送信メール】


『To』:祐一


『Sub』:あの子


『添付ファイル』:なし


『Text』:そんなに好きなの?
 




【真琴の日記、判読は非常に困難】


 いたい


 あつい


 つらい


 くるしい


 ずっとずっとゆーいちにひどいことされてる


 いまはゆーいちがいないからかいてる


 これかいてるとすこしらくになる


 あたまのなかがぐちゃぐちゃでへやがぐにゃぐにゃでゆーいちがおおきくていたくてこわくてむかつく


 なんでさいしょにあったときむかついてたのかわかった


 こうなるってわかってたからだ


 だからまことむかついてたんだ


(延々とそのページに『ゆーいちしね』と書かれており、これ以降の文章は隣のページに書かれている)


 げえってするとまたたべさせられるしのまされる のどがぎゅうってなってまたげえってする


 からだががくがくしてきもちわるくていきができない


 もうやだ


(判読不能)たい


 ぴろといっしょにどこかにいきたい


(意味不明の記号らしきものが描かれている。文脈から察するに『ぴろ』であると思われる)


 ゆーいちがいないところでしずかでしずかでいたくなくてらくでつらくなくてすずしくてあたたかいところにいきたい


 なゆきもあきこさんもたすけてくれないあきこさんはどっかいっちゃったしなゆきはずっとへやにいる


 ぴろもどこにもいないしきっとにげちゃった


 ぐにゃぐにゃのなかにゆーいちしかいない


 だれかまことをたすけてたすけてたすけてたすけて


 ずっととがあいててかぜがはいってすごくさむくてあつい





【水瀬家二階 祐一の部屋のゴミ箱に捨てられていたメモ】


 北川との約束→中止、真琴


 天野→あの子? 真琴と程近い? もう会う必要なし。


 学校→休み、看病


 丸め込み、名雪は?


 病院→無し。飼い殺し。


 真琴→狐。高熱は命を失う前兆。リミットは?


 逃走警戒必要なし。死に掛け。手ごろな大きさの石。これまでは三回


 処理は?


 ノート→香里





【水瀬家二階 空き部屋に残されていたメモ 破かれている】



 まこと


 に

                           いま

    さよ

                   ご  なさ           
もう

  しん

                      なゆ

       あ


                  

  ゆ    ころしてや



【天野美汐の日記】


 弐月■■日


 天候は清々しい程の晴れ模様、久方ぶりに気分良く登校できた。


 雪は積もっているものの、特に気にはならない。良い兆候だ。


 学校……いつも通り。平常。


 家……新書を一冊読んだ。平安京の生活について書かれた本で、それなりに読みやすい。図書館で借りてきた本だが、改めて購入してみようか迷う。


 あの子……相沢さんと今一緒にいるだろうあの子は、果たして今も苦痛の最中にいるのだろうか。時期からしてもう発熱している筈だ。現在は気息奄々としているのか、……それとも、乗り越えたのか。もし今の時点で息が絶えるようなら、きっとあの子は幸せだ。


 だがそれを乗り切るなら、きっとあの子を今まで以上の苦患が襲うことになるだろう。奈落を越えた先にあるのは、それ以上の闇を湛えた奈落でしかない。それを眼前にした時の気持ちは、さながら暗黒に身を浸したものと同じであるはずだ。


 少なくとも『あの子』はそうだった。苦悶の中でのた打ち回り、逃れられない結末に寒慄して、憔悴の果てに譫妄状態に陥って、挙句に幻覚と幻聴に狂って周囲全てを呪って頓死した。


(この段落のみ字が震えているが、これ以降は普通に戻っている)


 相沢さんの狐はどうだろうか? せめて最後は楽に逝ってくれるだろうか?


 そういえば、一つ疑問に思うことがある。


 以前学校で遠くから相沢さんを見かけたことがあるのだが、その時の彼はまるで平素と同じように級友と時を過ごしていた。その様は平静を保とうと努力しているというよりも……むしろ、あの子のことを全く気にしていないかのように思えたのだ。


 勿論、この考えが私の思い違いという事は在り得る。直接話した訳でもないのだ、決め付けるには無理があり過ぎる。


 ただ……やはり、彼の様子は気にかかった。前に私から接触しようかと思ったこともある。だが電話を掛けた際、彼は明らかに私からの電話に対して知らない女の人として答えた。繰り返し電話すれば多少は異なる返事が返ってくるのかもしれないが……今一度、彼に連絡する気力はとても沸かない。この件については時間に任せることにしよう。せめてあの子は安楽の中で死ねるよう祈るしかない。


 そう言えば、以前この街の郷土史に関する本を読んでいた際、興味深い記述を見つけた。


 これまでの復習:ものみの丘には妖狐と呼ばれる存在がおり、彼らが人の前に姿を現す際は何時も、その村や街に災厄を巻き起こしている。その災厄は凡そ彼ら彼女らが意図したものではなく、その出現によって土地を支えていた何らかの安定軸の崩壊、もしくは時の支配者の介入を招いたものであることが分かる。つまり妖狐たちは悪意を発散させているのではなく、知らないうちに悪意や害意を引き寄せている。
(出典:複数、部屋の本棚、上から一番目と二番目)


 その中にも一つだけ、彼ら自身の敵意によって引き起こされた災禍が存在した事例を発見した。
(出典:○○社、『御伽噺の悪感情――鳥獣ら』と○○社、『狐と町、○○町郷土史』から)


 ある村にやってきた妖狐は、かつて恩義を感じ好意を覚えた人と会い……恋に落ちた。そこまでは通常と変わりない。だがそれ以降が異なる。


 狐に慕われた人は何を考えたのか、妖狐からその変化の技法を聞き出そうとして、その妖狐に熾烈な暴行を加えたというのだ。記述が少ないために何が起きたのか正確には分かり得ないものの、同じ頁に載せられていた絵を見てみると、それは随分と陰惨なものであったことが分かる。


 その後妖狐は人の下を逃げ出し……その人は事故に遭って死に、一族郎党も一月のうちに全て死に絶えた。以降の妖狐の記述は見当たらないが、近いうちに絶息したのは間違いない。


 この事から妖狐は、それ自身の意志によっても何らかの悪意・敵意ある行動を取れることが分かる。そして、その悪意が個人だけではなく集団に伝播することも分かる。とは言え、彼らが変異を行うのは大体においてその献身と好意からであって、その力を使用するのは極めて稀であるようだ。他には一つも見当たらない事からそれが分かる。


 つまりここから、妖狐が自ら意志を持って力を行使できると言える。それが分かっただけでも一歩前進だ。


 もしこの調子で研究を進めていけば……あの子が死んだ理由を、そしてあの子が死なずに済んだ方法を見つけ出すことができるかもしれないのだから。そしてもしかすれば、消滅したあの子を蘇生させることもできるのかもしれないのだ。





【○○新聞 2月■■日■曜日 交通事故で主婦重体】


 ■日午前十一時頃、○○市○○町に住んでいた主婦の水瀬秋子さん(■■)が○○町大通りの交差点に進入した所、乗用車と衝突した。秋子さんは頭を強く打ち、救急車で病院に運ばれたが現在は意識不明の状態。


 乗用車はそのまま逃走したことから、○○市警察署はひき逃げ事件として捜査を行っている。


 調べによると、信号が青になって秋子さんが交差点に進入したところ、乗用車と衝突した。現場は見晴らしが良いことから、警察は乗用車の運転手が余所見運転をしていたか、もしくは何らかのアルコールか薬物を摂取していた可能性があると見ている。





【○○新聞 2月■■日■曜日 交通事故で高校生死亡】


 ■日午後四時頃、○○市○○町に住んでいた高校生の水瀬名雪さん(■■)が○○病院前の交差点に進入した所、猛スピードで信号に進入してきたトラックと衝突した。衝突の衝撃で名雪さんは道路を跳ね飛ばされ、信号脇に止まっていた車のフロントガラスと接触した。名雪さんは○○病院に運ばれたものの間もなく死亡した。


 警察はトラックの運転手を道交法違反と業務上過失致死の容疑で逮捕した。


 名雪さんは先日母親の水瀬秋子さんが交通事故に遭ったため、その見舞いのために病院を訪れていた。
                    




【水瀬家二階 祐一の部屋に残されていたメモ】


 どこに行く?→金、荷物


 実家?→×、見られる恐れ


 香里北川舞→名雪の例、トラック、血みどろのぐちゃぐちゃの血だるまの叩いた肉、足が千切れていた、と殺


 復しゅう


 くそくそくそくそあいつがあいつがあいつがあいつがあいつが


 うううぅぅぅうううぅうううう


 (この後、判読不明の記号らしきものが延々と書き連ねてある)





【週刊○○ 4月号 一家を襲った悲劇、その異常性に迫る!】


 先月の2月■■日、○○市の○○町に住んでいる水瀬秋子さん(■■)が交通事故に遭った。これ自体は悲しく残念な事だが、日本中どこにでもあることだ。その三日後の■■日、秋子さんの娘である水瀬名雪(■■)さんが同じように交通事故に遭い、死亡した。これはなかなか珍しい。親子が一つの交通事故によって被害に遭うならまだしも、別々に同じ類の事故に遭うというのは極めて珍しい。が、偶然で済ませようと思えば済ませられる。


 しかし、その家に居候していた相沢祐一さん(■■)もまた死亡していたとすれば、これは果たして偶然というカテゴリに入ると言えるだろうか? 祐一さんは名雪さんの事故から数日後、一人で住んでいた家から姿を消した。近いうちに両親がやってくる予定であったが、祐一さんはそれにも関わらず家を出たらしい。翌日になり、全く連絡をせずに欠席をしたことに不信感を抱いた担任教諭が家を訪ねた所、台風にでも遭遇したように家の内部が荒らされていたことから警察に通報、行方不明として捜索が開始された。とは言え当初は祐一さんの精神が不安定だったとの情報から、単なる突発的な行動と思われ、それほど力を入れて捜索されていたわけではなかった。もしかすれば、それがあの惨事を招いたのかもしれない…………。


 祐一さんは一週間後、国道○○号線沿いの森の中で遺体となって発見された。つまりこれで一家三人が全く別々に、別の日に、しかも二週間以内という近い時期に亡くなったことになるのだ。これは随分と奇異なことであるが、更に祐一さんの死に様を見ると、その不可思議さはますます強められる。


 この週刊○○の記者が独自に得た情報によると、なんと祐一さんの体は生きたまま食われていたことが分かったのだ。行方不明者の遺体は動物によって荒らされていることがしばしばだ。しかし、生きたままの人間をそのまま食おうとする動物はなかなかいない。更に祐一さんの死因は出血性ショック……つまり、失血死だ。これは祐一さんが死に至るまで何らかの動物から執拗な攻撃を受け、その果てに死亡したことが分かる。ちなみに付け加えておくと、祐一さんの遺体は徹底的に噛み裂かれており、検分した警察官が思わず吐いたほどであるとのことである。その死体からは酷い悪臭が漂っていたのだが、なんと糞便を掛けられていたのだそうだ(汚い話題で失礼)。


 歯形を調査してみたが、専門家が見た所によると(それについての情報は81ページから)、それはどう見ても犬や猫、または狐などによる動物のものであると言う。筆者がそれを聞いて最初に思い出したのは、『ロストワールド/ジュラシックパーク』に登場する、コンピーという小さな恐竜のことである。正式名称はコンプソグナトゥスと言うらしいが、ここではコンピーと呼ぶ。その恐竜は一匹一匹では力が弱く、人間にはとても太刀打ちできない。しかし数十匹、数千匹が集まると、人間の体にまとわりついて柔らかい箇所を徹底的に攻撃し、ついにはのたうちまわる獲物を生きたまま食らうのである。


 ここからは筆者の邪推とそしられても仕方が無いが、水瀬家には祐一さんの他に一人の居候がいたという情報がある。これも記者が得た情報なのであるが、その人は『沢渡真琴』という名前だ。そして現在真琴さんはどうなのかと言うと…………そう、行方不明なのだ、祐一さんと同じく。彼女は事件とは関係なく無事であるかもしれないし、警察によって発見される可能性もある。そして最も恐るべき可能性としては……彼女が、事件に加害者として関わっている可能性である。勿論これは単なる推測でしかない。だが、他の家族が皆死亡している中で一人だけただ行方不明というのは、傍から見て随分と怪しいと言わざるを得ないのだ。


 果たして、祐一さんをコンピーよろしく噛み裂いた生き物とはなんであったのか? そしてそれと、水瀬一家を襲った惨劇とはどのような関連性があるのか? 一家を襲った惨事は本当に偶然だと言い切れるのだろうか? 真琴さんはどうなっているのか?


 次号ではこれらの謎について徹底的に究明したい。





【○○新聞 5月■■日■曜日 火災で住宅数棟が全焼】


 ■日午後三時ごろ、○○市○○町にある住宅で火災が発生し、火は周囲の隣家にも飛び火し数棟が全焼した。


 発火の原因が不明であることから、警察は放火の疑いがあるとして捜査を進めている。


 出火元は4月■■日に亡くなった水瀬秋子さんの家であり、現在は手付かずのまま放置されていた。
復路鵜
2008年09月23日(火) 14時20分58秒 公開
■この作品の著作権は復路鵜さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 三ヶ月空きました。
 そしてこれはコンペに出展した作品です(ある程度修正していますが)。
 ごめんなさいとしか言いようがありません。私の怠慢です。がくり。
 ネタはある程度できているのですが、時間と気力がないせいでなかなか書くことができず、ここまでずるずると延びてしまいました。楽しみにされている方がいたとすれば大変申し訳ありません。
 とは言え嘆いていても仕方が無いので、なんとかネタを固めて書かなければなりません。時間の合間を縫います。
 今回はKanonSSでしたが、次は東方SSを書きたいなあと思ったりします。オリジナルも興味はあるのですけどね。

 作品についていくつか。
 祐一なんですけれど、この作品ではかなり鬼畜になっています。とは言え最初から動いているわけではなく、何かしらのきっかけをもらうことが決定打となるわけなのですが。どっちにしろ相応の罰は受けているので因果応報ということになりますね。
 水瀬秋子さんですが、彼女は彼女なりに精一杯動いて考えているものの、祐一に利用されています。看護とか。
 しかし彼女も彼女で自己完結している所があり、祐一と真琴の関係について考えることを放棄した点については祐一以上の加害者かもしれません。共同正犯。
 水瀬名雪についてですが、彼女は二人の関係について知っています。いつからどこまで知っているのかと言えば微妙な所ですが。
 日記のパートについては、もう少し記号や文字などを弄くれたんじゃないかなあとちと残念です。ううむ力不足。

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