カラス、ヒメに出会う
 雨のように立ち並ぶ竹林を抜けきった瞬間、射命丸文の眼前に幅広の風景と建物が開けた。


 そこは永遠亭と呼ばれていた日本古式の大邸宅。燦々とした日差しは大きく小さく空いた竹の間を縫っては降り注ぎ、建物の外郭や瓦屋根を明るく照らす。光の煽りを受けて舞い散るのは土埃と僅かな妖気で、他に漂うのは妖怪が残した足あとと羽の残滓。翼に乗せた妖力で疾走していた彼女はゆっくりと速度を落としていく。周囲に膨大な風圧をまき散らしていた黒々とした翼からだんだんと風が止んでいき、最終的に彼女は体内に羽を整えてからふんわりと入り口の門前に着地した。八・五と心で呟く。今回はなかなか風に乗れていた方だったが、着地時に思ったよりも埃を散らしてしまったのがマイナス要因。デキる新聞記者は移動もスタイリッシュに、というのが密かな座右の銘でもある。


 ただ得点の最高は十だが未だここへ至った事はなく、文は自分で設定しておいて何だが、そもそも神様でもない一つの肉体が究極なんぞに至れるのかどうか疑問に思っている。割りと近い領域に達したことはあった――数えるのも億劫になるほどの昔、霧雨魔理沙と空前絶後の大競争を行った際に勝ち抜けて、直前までの超音速を華麗に殺しながら両足で地面に降り立った九・九が最高峰だ。文の心情や体勢に着陸までのストーリー展開も完璧だったし、それを言うなら先を越された魔理沙の表情も彼女にとってほぼ最高得点。人が悔しがる顔を見るのは、いつだって楽しい。


 閑話休題、と文は着陸に気を取られていた考えを永遠亭へ戻した。後から遅れてきたカラスが今更のように肩へ止まり、羽づくろいを始めた。颯爽と着地した文を迎えるものはやはり無い。妖怪も兎もおらず、顔を撫でる風もない。鹿威しの立てる風流な音も、台所で上がるだろう炊事の声も不在。ただただ永遠亭は静かな場所と変わり果てているようだった。


 周囲を見回し妖力をチェックし、安全を確認した文はふと思いついてカメラを取り出すと、一枚パチリと撮影した。朱色で大構えの門から全体を眺めた一枚は、はじめの撮影としてはまあまあだ。永遠亭を皮切りにいろいろな場所を訪ねるつもりだったから、あまり長居はしないほうが良いだろう。いきなり中の撮影に入るか外から回るか思案し、今回は外堀から埋めることにした。もう少し屋外でこの静けさを満喫したかった――といっても嘘ではない。文の腰から下がっているミニバッグには予備カメラやカラスのおやつが収められており、準備万端だ。最近の流行りとして動画も静画も撮影可能なカメラも発売されているのだが、文の嗜好はそちらを向いていなかった。動く物をそのまま持っていくことより、静かな静かな一瞬のみを切り出した一枚にこそ価値がある、と文は考えていた。音はなく先もない刹那から、それ以前やそれ以降を連想することに華がある。無遠慮に全て持っていくのは野暮だろう。


 静寂のみが屋敷に染み込んでいた。周囲に生き物はいないし、屋敷の中も同じだろう。かつての庭を兼ねた遊び場と思われる場所にはウサギの足あとや、忘れ物のような靴が片方残されている。今頃、靴を履き忘れた当のウサギはどこで何をしているのだろう。


 歩いていると離れの物置に行き当たった。入り口を伺ってみるが、なぜか南京錠やら妖力鍵やら、果てはどこに置いてあったのかというほど大きく無骨な鍵ががちゃりがちゃりと重ねられており、絶え間ない拒否を前面に押し出している。鍵探しより扉を壊した方が楽だと思いそうになるが、厚みや妖力障壁の有無を考えるとうんざりした。近くに出窓があったので中を覗くと、なかなか乱暴そうに物が置かれた室内には市松人形や箱に書類が積み上げられていた。月に一度行われていた例月祭に使う道具も、隅の方に転がっている。おそらく担当のウサギがホイホイと投げるように整理したのだろうと考えると、胸焼けがした。ダメ元でカラスに体をねじ込めないかと聞いてみたが、アッと鳴くと飛び立って空をぐるぐる回り始めた。気分を害したらしい。他に面白そうな物もないので移動することにした。


 撮影を散りばめつつ、裏側から反対方向を回って入り口まで戻っていく。腕時計を確認してみたら、おおよそ四十分もしくは五十分。以前やってきた時も相当の豪邸だと感じたが、足で調べると本当に如実だ。自慢の翼を用いれば一分足らずで終わらせられるが……それをしなかった理由と言えば、やはり永遠亭に降り積もった侘び寂びとしか考えられない。井戸の中から吹き上がる涼風、裏口に重ねられたスリッパ、遊び場に積み上がった釣竿に加工される予定だったらしい竹、そして永遠亭の装いそのもの。


 文の中に潜む問題はここでも顔を出す。どれほど良いカメラを用いても、どれほど撮影技術を磨こうとも、眼で見るものに絵では追いつけない。――というより、眼だけの問題ではないのかもしれない。耳も鼻も皮膚も、全て使ってこその感覚なのだ。眼だけを刺激する写真では、いずれにせよ無理がある。


 唸っていても仕方がないので、文は上空からの情報を得るため相棒のカラスを離した。外の世界ではGPSというのが流行っているらしいが、衛星よりもカラスを手懐けたほうが安上がりなのにねえ、と文は思う。細かい原理などに興味はないが、生き物を使うほうがスリルがあって好きだし、可愛げもある。


 ひとまずはカラスに周囲を観察させて、後ほど上空から自分の位置を見てみることにしよう。妖力放射が感知されたらそれが文だ。屋根も透過できるので、リアルタイムでレーダーを見ながら探索もできるだろう。たかだか家一軒だと思っていたが、外側を歩いてこんなに時間がかかるならそれはダンジョンと表現した方が良いと彼女は思い直した。


 一周して表へと戻ってきた文は、改めて玄関から中を覗いた。上り口も広い、温泉宿など目ではないぐらいだ。だが一足も靴はなく、差し込む光の下でふわふわと埃が持ち上がっていた。


「お邪魔します」と文は靴を揃えて上がった。


 一言で表すなら荘厳な廃墟だった。永遠亭にある各々の部屋の戸は綺麗に開け放たれており、室内に溜まっていた光がちょうど良い具合に廊下へと落ちている。確か昼前だろうから太陽も上がっていくし、そうした動きも光の挙動に反映されているのかも知れない。廊下には窓辺の光だけでは飽きたらず、設置された天窓からぽろぽろと雪みたいに光が落ちてきた。廊下がこんなに美しくなると思っていなかった文は、思わずここでも一枚パチリ。立ち上がる音すら一里先から届きそうだった。床を踏みしめるとギギィと鳴るが、どうもそれが申し訳ない。


 そのうち通り過ぎる部屋に興味が出てきたので、開いた戸から中を覗く。《ゐの間》には机とタンスとなぜか中央に布団が残されており、後は空っぽ。《リの間》はとるものもとらず出て行った、という有様で服やら雑貨やら小物やらが隅に寄せてあり、隣にはカバンが三つ無造作に置いてあった。どう見てもカバンの内容量と荷物の重さが吊り合わないが、どっちにしろ全部放置されたのだから意味がない。こうした茶目っ気のある風景も良さそうなので一枚撮った。


 しかしまあ、と文は考えた。変なパニックを起こしてけが人が出るよりは良かったかもね。特に鈴仙は慌てると弱そうなタイプに見えるから、指示出しや誘導にはてゐがうまく立ちまわったに違いない。そもそも主人の二人が物事に動じるタイプに見えないから、永遠亭の構成はあれでバランスがとれているのかも。


 廊下の端を歩きながら足を進めていくが、開け放した窓から風が吹き込んでくる。家の傷みはなく、ここがずいぶんと丁寧に扱われた印象を受けた。住む者がいなくなれば循環が消えるし、そうなれば詰まりを起こした屋敷は血栓のように不調を起こすものだ。だがそうした兆候は一切見られない――このご時世にこうした良い環境は珍しいが、永遠亭ならばそういうものかもしれない、と文は考えた。しかし扱いという点なら、そもそも外に行くならいろいろな予防のために窓を閉めておくんじゃないだろうか。こうして窓が全開となっていることに首を傾げてしまうが、人の家にケチをつけても意味がない。ひとまず、窓の前を歩いていると風がモロに当たって寒い。写真に集中することで眼を逸らすことにした。デキる新聞記者は冷たさなんて気にしないのだ。


 歩く歩くパチリ。歩くパチリ歩く。永遠亭が紅魔館のように屋敷の大きさを拡張したという情報は入っていなかったから、もともとこの広さなのだろう。壁にかかっている書道の文体や種類が全て異なっているから、同じ場所を迷っているわけではなさそうだ。腕時計を見るとそろそろ一時間になる。退出しても良いかも。あらゆるものの不在を感じ取った文は眼を細めてあくびをし、暇を潰す兼出口を確かめる意味でカラスの信号を受信することにした。妖力を飛ばして視界をドッキングすると、小さいカラスの視界が彼女の眼に浮かんできた。


 文よりも細い眼と小さい体から見下ろした大邸宅。竹の隙間を走り抜ける、得体の知れない生き物。裏のかなり奥側にある、盛り上がった土と刺さった石塊……あれは墓場か。そこから眼をずらすと若干のピントのブレと色彩を補正――カラスの体に文の感覚を上乗せするためか、繋がっている彼女はやや頭痛を覚える――を行なってから、余分情報を飛ばすために色彩をモノクロ化して文の現在位置を確認。屋敷が白黒でとどまっている最中、文という名の発光した肉体が廊下で止まっている。場所は真ん中で、裏に戻るのも表に回るのも中途半端だ。どうせなので上空からじっくり観察してみた。二十メートルの高度を維持しているカラスが、永遠亭の瓦屋根の趣向や模様を観測する。同時に中心部にある、登りハシゴらしき物を目に止める。文の位置からはそれほど離れていないが、通路は見当たらなかった。とすると隠し――


 突如として発生する砂嵐。横入りするノイズ。


 視界不良。


 考える間もなく文はドッキングをもぎはなして肉体へ帰還。カラスを通じた害を防ぐためだ。一秒足らずで彼女は相棒が他の妖怪に視界をジャックされたこと、その強行度合から察して文と同程度の――少なくとも不意打ちで主導権は奪える――妖力を持つ奴が相手だ。そしてもう一つ。


 妖力強度を観測した限り、相手は永遠亭内だ。


 足を用いず翼によって浮いた文はジェット噴射の要領で空気の壁を蹴り、跳ね跳んだ。妖力の発信源へと超高速滑空。五感全てを飛行とシンクロさせながら発信源へと高速接近。戦闘機の如く。内ポケットにはスペルカード四つ。相手を完全沈黙させられるとは限らないが、時間稼ぎと意図の確認はできるだろう。カラスの安否が気になるが、行使した手段が直接的な危害でなくジャックだから、殺された可能性は低い気がする。あの鳥とは五十年以上の付き合いがあるのだ、軽々しく潰されてはたまらない!


 開いた襖をかいくぐって廊下を飛び越える。飛ぶ渡る飛ぶ。何里にわたる迷路の如き永遠亭をくぐり抜け、文は一つの部屋に到着する。部屋名は《蓬莱》。今度はこっちが不意打ちする番だ――文が滑空の勢いを殺さぬまま扉を突き破ろうとして、部屋からたおやかとしか表現しようのない声を聞いた。


「どうぞお入りなさい、泥棒さん」


 その声には静けさと共に重みがあった。相手の気勢を潰し殺意を握りつぶす威圧感。文の背筋に寒気が走り、掴んだスペルカードに汗が染みこむ。嫌な汗。戸を介して聞こえたのは女性の声だったが、個性よりも先に声に備わっている代物が心に入り込んできた。聞く側が萎縮するしか術のない、相手の遥か上にいるというのに本人がそれを微塵も意識していない音。天上にいる者の声。眼前にいるのは生き物でなく、さながら星か海のようだ。一人で遥かなものと対さなければならない焦りと、なぜここに来てしまったのかという歯噛み。文は一瞬、このまま回れ右をして逃げ出すべきか、あるいは部屋の外から先制攻撃するべきか迷った。その二つは脳内でコンマ数秒ほど荒れ狂い、結局ストップした。逃げ出せばカラスは文の手元から消えて彼女の恥となるし、何より好奇心を是とする新聞記者にとって、知ることを拒否して逃げるなど狂気の沙汰だ。もしも攻撃したとすれば……眼前にいるだろう生き物は、他の何者でもなく、星そのものになって文を押しつぶすだろう。それは胸ポケットにあるボールペンほども、背中を伝う脂汗と同じ、予感にしては固すぎるものだ。あらゆる生命と物質を搭載した巨大な代物、それが眼前にいるというこの状況は果たして何なのか。イメージすらも極北を越えて、文の脳裏に荒廃を呼び込みそうだった。


 だから文は息と妖力を整えると勢いを殺して着地し、膝をつくと部屋の戸をゆっくりと開けた。


 畳何十と表現できそうな広い広い場所だった。大宴会を三つ並べて催してもなお余裕がありそうで、一部屋なのに人里の豪邸を丸ごと中に包み込めそうだ。それだけの面積があるなら、部屋というより空間と表現するべきだろう。永遠亭の何割かはここが占めているに相違ない。入り口近くの文机には鉢植えが置いてあり、梅の花が咲いていた。鉢植えはそこらに百以上は置かれており、そこではヒマワリや桜やラベンダー等等、季節がめちゃくちゃな花たちがところ狭しと咲き誇っていた。かの花の異変を思い出す。そして壁にもズラリと掛け軸がかかっているが、水墨画にあっては唐突に油絵へと飛んでいき、途中から習字紙に星の絵が描かれ、そこからは何かが繰り返し唱えられていた。聞こえる限りそれはどうやら和歌だ。天井には絵筆で描いただろう桜がひしめき合い、はらりはらりと花びらが絵から落ちてくる。実体化しているのかそうでないのか、花びらは彼女の手に当たると不意に消えた。そして舞い飛ぶ葉に鳥に蝶たちヒヨコたち。向こうの天井から枯葉が落ちては畳の上で浮かび上がり、鳥や蝶が巣箱に戻っては出るを繰り返している。蜂が一匹ぶうんと文の横を過ぎたが、廊下まで行かずに掛け軸までまわって戻った。ヒヨコが八羽ほど列を作って歩く。ここには廊下の寒さがなく、空気が――自然そのものの温かさが循環していた。陽光と甘い風で創りだしたほのかな空気。開け放たれた窓からやってくる風は、窓辺を隔てて残らず春へと変換されていた。


 ここは桃源郷か、あるいはカオスの根源か。


 そのうちにウグイスらしき鳥がケキョケキョ鳴きながら飛んでいき、女性の肩に止まった。


 蓬来山輝夜は扉近くの座椅子に腰掛けながら、前の文机に乗せたカラスと遊んでいた。開いた窓から呼び寄せたのだろう。クックッとカラスは飼い主である文よりも輝夜に懐いた様子で、彼女に頬ずりしたり尾っぽで鼻をくすぐったり、果ては輝夜が顔をくっつけても嫌がる素振りすら見せなかった。文が似たことをすれば頬をクチバシでつつきまわし、止まり木に逃げて三日間は餌の時しか降りようとしない。輝夜はカラスとウグイスに腕を独り占めされながら笑みを浮かべ、やがてウグイスは迎えに来た別の鳥と共に部屋の中へ飛んでいった。そして彼女は文に気がつくと、ゆっくりと落ち着いた口調で言った。


「あらあら、泥棒でなくて記者さんだったのね。でも、こんなのを飛ばしてはいけませんわ。


 永遠亭の空は白い習字紙、私の許しなく筆を走らせては、意味のない絵になりますから」


 そう言ってコロコロ笑う彼女に、もう星の重さはなかった。





「それで記者さん、永遠亭に何の御用かしら?」と改めて輝夜が向かい合った時、文は何を口にするべきか迷った。どう話していいのか思いつかない。目の前に輝夜がいたことへ戸惑いを覚えたというべきか、もしくはこの部屋だけが冬から春に装いを変え、鳥が歌い踊る絢爛すぎる有様になっていたことか。全く思考が定まらなくなった文は、この部屋が暖かいですねと最初に上がった言葉を告げた。すると輝夜はふふと笑いながら袖で口元を隠す。童女のような立ち振舞だが、それに些かの嫌味も見られない。


「そうねえ、なんだか寒くなってきたじゃない? だから部屋の中だけでも暖かくしようと思って、春に先駆けしてきてもらったの。本当は春告精を呼び込めれば手っ取り早かったんだけど、呼んでも来ないのよ。この季節だとまだ眠ってるのかしら? でも、おかげでいい気持ちだわ。四六時中ぽかぽかしてるんだもの。眠い時にはもっと眠いし眠たくなくても眠くなっちゃう、眠り眠って眠りのお部屋ね」
 くぁぁと輝夜は小さくあくびし、あらはしたないと口を隠した。文は額をほぐして状況把握に務めたが、まだ実感がやってこない。瞬きを繰り返しながら部屋を眺めていると、座ったら? と輝夜に座布団を勧められて落ち着いた。どこからか抹茶も出されたので頂く。苦いが、けっこう頭がスッキリした。


「でも、無断撮影は関心しないわね」
 茶を挟んだ輝夜が真面目な顔に戻る。カラスの顎を指でいじると、鳥が嫌がって明後日の方向へ首を向けた。
「いくらこの屋敷が美しいからって、許可なしの撮影は禁止します。私にはこの永遠亭を守る義務がありますから。次見つけたらカメラを取り上げて、フィルムをビーッってするわよ。一回してみたかったのよ、アレ」
 くるっと顔に笑みを浮かべながらお行き、とカラスを文へ飛ばした。文は頭を下げながら、この浮気者と内心毒づいた。カラスも首を項垂れ動かない。万一を考えて妖力を走らせてみたが、何か盛られた形跡はなさそうだ。輝夜はそれに気づいたのかそうでないのか、眼前で小さく笑みを浮かべている。


「ええ……その通りですね。すみませんでした。反省します」
 文はもう一度頭を下げた。


「あら殊勝。もっとゴネたり持論を展開するものだと思ってたわ」
 輝夜がキョトンと目を丸くした。
「ま、そこまで私も気にしてないから別にいいわよ。真のお姫様は何事にも動じず、常に自分のペースを保つものだから。外におっかなびっくりではまだまだ二流ね」
 ふうむ、と文がメモ帳を開きながら唸っていると輝夜が思いついたように言った。肩に再びウグイスが止まった。


「それで話の続きだけど、今日はどうしてここに? イベントも行事もないし、インタビュー予定もなかったはずだけど……永琳の伝達ミスかしら。秘書失格ね」
 おめかし用の服も用意してたのに、と輝夜はブツブツ文句を言う。メモ帳に最低限書き添えた文はそうですねえ、と膝に手をやり、考えながら話し始めた。


「永遠亭の日常風景ですか。スナップショットを撮りに来たんです。今回は抜き打ち取材ということで、つまりアポを取らずに怒られること前提にやってきました。なんでそんなことをするかって言うと、みなさん、やはり特別な日には特別な顔をしているものでしょう? 今回の目的はですね、皆さんが浮かべる普段通りの表情を写真に収めたい、ということなんです。自然な表情が、意識して作った顔よりも綺麗になることがままあるんですよ。無意識に神様が宿ると言い換えましょうか」


「あらそう。じゃあ私は自然体が一番美しいってことね」
 よく分からない結論にたどり着いた輝夜が頬に手を当てた。その仕草も奇妙なまでにキッチリ型に合っており、文から見ても色気あるものだ。ふわふわとした言葉との対比のせいか、ギャップにクラリと来そうだ。


「いいわ、こんな機会ですし内部見学を許可します。暇だから私も一緒に行くわね。あっ、そういえばさっき、外でしきりに誰かうろうろしてたけど……ひょっとしてあなた?」
 文は首を縦に振ったが、まだ撮影は途中ということも伝えると輝夜は安心した表情になった。ホスト役としては、もてなす間もなく帰られてはかなわないと思ったのかもしれない。


「ではいらして、おあがりなさいな。あなたの知らない永遠亭を堪能させてあげます」


 輝夜は物のような美しさでニッコリ微笑んだ。





 部屋を出ても春は消えなかった。花こそ咲かないものの、明らかに輝夜から春の陽気が離れない。最初こそ残り香が染み付いているのかと思ったが、並ぶ部屋を三つ越えても薄れる気配すらない辺り、文の知らない何かが隠されているのだろう。


「あのうお姫様、」


「輝夜でいいわよ。私も文って呼ぶから」


「わかりました輝夜さん、ええーと……なんか春、くっついてません?」


 もう少し言い方がなかったのかと考えた文だが、「面白いことを言うのね」と輝夜は笑って腰に下げた巾着袋から、小さな瓶を取り出した。香水のようだ。そこから濡れた温かさが漏れており、文が匂いを嗅がせてもらうと、甘い香りと共に目の前にチョウチョが現れ鼻にとまった。カラスはそれがなんとなく嫌らしく、文の肩に止まっては浮き上がりを繰り返している。侘び寂びを解さない奴だ。


「これよ。ラベルが貼ってないから名前は分からないけれど、それはどうでもいいでしょ。これが周りに春を作ってくれてるの。前に永琳がね、無から直接物質を作り出すことはできないか、できなくてもせめて薬品を媒介して創造できないか……って実験を繰り返してたわ。お手軽サイキック? を目指したらしいの。言ってる意味が分からなかったけど、昔からそうだから。


 結局ね、薬の強い作用で物理現象とか法則に強制介入して一時的に作り上げる事には成功したけど、それも一秒足らずで崩れちゃうから意味がないのよ。そこで私の能力を応用することで現象の時間に幅をもたせることに成功した、って倉庫のレポートに書いてあったわ。血とか使ったのかしら」輝夜はやや憮然とした顔で小瓶を振った。「使われてないってことは何か副作用があるかもしれないけれど、そんなのを気にしてたら生活なんてできないじゃない。バンバン使ってやったわ。あと何本かストックありそうだし、まだまだ春は続くわよ」


「他にもそういうの、使ってるんですか?」


「ええ。結構たくさんの物品が倉庫に置かれてたからね、もう三割ぐらい使ってみたわ。今使っているのは《虫寄せ》で、名の通りチョウチョやハチを呼び寄せる薬。《ツラヌキノコ》もそう。掛け軸から和歌が聞こえてきたでしょ? あれよ。掛け軸にキノコをすりおろして塗るとね、そこから歌が流れてくるの。よく分からないけど楽しいからいいじゃない。それから、《京華鏡》も」
 輝夜は懐から筒らしき代物を取り出した。文に万華鏡を連想させるが、それよりもっと太くてがっちりしている。これを巻き寿司だとしたら、成人男性が口いっぱいに突っ込んでも歯を立てるのは難しそうだ。覗かせてもらうが、普通の万華鏡と同じく、プリズムが光を乱反射させるだけだ。筒が気になるのか、横からカラスがしきりにクチバシを突っ込んできてウザい。


「後でちゃんと見せてあげるわよ」と輝夜はそれを懐に戻した。


 八意氏の発明品から、話は永遠亭全体へと広がっていった。永琳が香水をつけることにハマった話(外の世界から流れてくる薬品を改造したらしく、たまに幽霊が寄ってくる)からそれをうっかり自分につけてしまった鈴仙とてゐの失敗談(里に放り出された鈴仙は人やら幽霊やらその他やらに囲まれて大変なことになり、里に放り出したてゐは森の中で妖精にサラウンドアタックされた)。ちびウサギたちが間違えて香水を口に入れた話もあった。混乱の中で輝夜だけは無事に完成品を身につけ、春をめかしこんだ瀟洒な美姫としてのほほんと過ごすに至ったというわけだ。そこまで話した所で輝夜が「この辺りからレッドゾーンだから気をつけた方がいいわね」と言って文は戸惑った。見たところ初めて訪れる区画でもあるが、他と変わっているようには見えない。カラスの目も見てみたが成果はゼロだ。


 どういうことでしょう、と尋ねる前に輝夜が壁を叩くと、突如として前方数十メートル分の天井が落下した。吊り天井。かの『金閣寺の一枚天井』を彷彿とさせる見事な一枚板で、それが床にぶち当たると腹を揺らす轟音と衝撃が廊下を走り抜けた。身を打ち壊すような衝撃は屋敷の遠く遠くまで響き渡り、山彦のように反射していく。カラスはとっくに別な場所へと逃げ出し、文も腹を大きく揺らすショックのせいでしばらく動けなかった。やがて、上からいくつもの鎖で吊られていた天井がギィギィ音を立てて戻っていった。木目が走った床にはうっすらと天井の跡が残っている。当たれば人間は間違いなく圧死で、妖怪でもただでは済みそうにない。案内なしにこれに触っていたら、文でも結構危なかったかもしれない。


「あの、これはちょっと洒落にならないんじゃ……」


「あれは最終兵器かつとどめ用のトラップよ。たまに大熊みたいに獰猛な妖怪が迷い込むからね、そういうのはたいていここで仕留めるの。後片付けもしやすいように、床の材質も変えてあるわ。普通よりツルツルしてるでしょ。普段はウサギたちも立ち入らないようにキープアウトしてあるからね。安心して、人間用には金ダライを用意してあるから」
 でも下手したら三日ぐらい気絶しっぱなしかもね、と輝夜は相変わらずコロコロと笑った。


「他に、もうちょっと子どもに優しいトラップとかないんですか? 致死的な罠ばっかりでなく。これじゃ永遠亭じゃなくて即死亭とか呼ばれちゃいますよ」


「あるわ。どうせだし見てみましょうか」
 輝夜は脇の部屋に入り、こっちこっちと文を手招きした。しばらくしてカラスはふわふわ戻ってきた。


 なるほど広大な永遠亭と知略縦横で知られる因幡てゐが相乗効果を発揮したようで、文の気づかないそこかしこに罠が仕掛けられていた。一般ウサギの部屋にも何故か仕掛けられている眠り草トラップや泥水爆弾。天井から人形を落とすびっくりワナ。屋敷をストストと横断して庭へ出ると、害獣への嫌がらせ用に設置された鹿威し倍増装置がある。外周に沿って設置された音響増幅空間に獣が入り込むと、音量倍加演出を施された四連装鹿威しによるサウンドが迫ってくる仕組みだ。試しに聞かせてもらったが、カラスが失神しかけた。やや変わった趣向としては弾幕フラフープがあり、単純にフラフープを相手に投げつけるのだ。移動距離の分だけ弾幕が増加する仕組みらしく、どんどん投げ込めばその分相手が窮地に陥るという。水鉄砲、ゴムひも、縄跳び、竹馬、云々――子供用の遊び道具を果てしなく悪戯用に改造した無作為の罠がそこにあった。仮にも新聞記者という身の上なのに一つも看破できなかったのは、正直悔しい。


 文が次から次へと取り出される物をカメラに撮ったりメモしていると、最後に輝夜がフィニッシュに用いられる超弩級落とし穴を見せてくれた。通路の行き止まりに設置されており、深い。二十メートルはありそうだ。こんなに掘ると家の基盤自体に影響が出るんじゃないかと思ったのだが、そこは悪戯に命をかけるてゐによる指導の元、うまく工事を完了させたらしい。お金もバカにならないんじゃないですかと尋ねてみたが、輝夜のへそくりで簡単に済んだらしいのだから声も出ない。


 落とし穴の用法は簡単で、鳥もちなどで動けなくなった悪党をここから突き落とし、上からウサギたちも一緒にダイブするのである。降ってくるのが岩石でなくウサギの尻なのだから何の冗談だと思うかもしれないが、五匹が十匹、十匹が五十匹になると冗談ではなかったことに気付かされる。そのうち百匹以上の暇を持て余したウサギたちが降り注ぐからたまらない。やがて最下層が無制限押しくら饅頭となり、圧力に負けて失神する者も少なくない……勿論ウサギたちは飛び込む前に宇宙仕込みの耐圧酸素スーツ(重量十キロ増加)を着込んでいるから万事問題なく、気絶した妖怪のみが後ほど引きずり出される。これだけの手間をかけた特大罠だが引っかかったのはわずかに片手で数える程度で、だからこそ一度指令が発動されれば屋敷は上に下にの大騒ぎとなるという。よくもまあここまで無駄に力を注げるわね、と文は嘆息した。


 頼めば事前に見取り図ぐらいは貸してもらえたかもしれないが、たかが家一軒と侮っていた文は前情報なしでここに足を運んでいたため、あっちこっちと歩きすぎた彼女は今の自分がどこにいるかも分からなくなりはじめていた。見た覚えはあるが、いつどういう状況で通ったのか記憶にない。輝夜に聞いてみると、もう外周と細かい部屋はだいたい回り終えたという。後ろを振り返ってみたが、果たしてそこを自分が歩いてきたのかどうか定かでない。家そのものに幻術をかけられた気分になった文は首を振った。厳重に鍵をされていた外の倉庫や物置も見せてもらおうと思ったのだが、輝夜が「寒いのは嫌ね」と切り捨てた。


 とはいえこれで一般ウサギらの部屋は回り終えたから、後は因幡てゐ、鈴仙、それから永琳と言った主要メンバーの個室を残すのみである。


「でも、不在なのに見せていただいていいんですか? 流石に悪い気がするんですが」
 記者としてではなく個人的な良心が咎めた文の言葉だったが、外の倉庫に比べれば俄然輝夜は乗り気になっていた。


「いいのよ、主を差し置いて家を空けちゃう人たちなんですから。ちょっとぐらい覗いたって構わないわ。フン」


 最初に訪れたのは近さも相まって鈴仙の部屋となった。せめて文はお邪魔しますと声をかけようかと思ったのだが、輝夜がノー遠慮でエントリーしたので立場に困った。


 首を部屋に突っ込んでみると、なかなかの、少女趣味。


 基本的な構造は他の部屋と変わらず、ちゃぶ台に文机それに桐箪笥である。しかしふわふわというかファンシーな物が多い。例えばぬいぐるみ。人形。お手製のハンカチそれにレース。枕のようにフカフカしたのも無闇に多いし、だいたいフリルが縫ってある。戸棚からはなぜか耳らしき物が飛び出しており、おそるおそる開けてみるとウサギのぬいぐるみがあった。《ふわふわちゃん》とご丁寧にネームプレートまで貼られている。夜ごとに《ふわふわちゃん》へ愚痴とか思い出を語り聞かせている鈴仙のことを考えると胸が痛い。カラスがぬいぐるみをつつこうとするので止めるのが大変だった。


 箪笥にもお手製のフリフリカバーで、ぎっしりと本が詰め込まれた本棚には上からファンシー風味なカーテンがおろされていた。無闇に手が込んでいるが、こんな部屋じゃ確かに他のウサギにバカにされるわねえ、としみじみしてしまう。文が目を天井に逸らすと、デフォルメされたトラとネコが互いの毛づくろいをしている絵が目に飛び込んできた。布団に包まりながら見上げたんだなぁと想像すると本当にいたたまれない。これ以上突っ込むのは本人のプライバシー的にかなり気の毒だが、輝夜と言えば躊躇なくテープで封をされていた押入れを開けて「あらあら、カメにカラスにクジラとドラゴン、なんでもありね。アリスちゃんに作ってもらったのかしら」と品評しはじめるから手に負えなかった。そのうち窓辺に吊り下げられていた風鈴(かわいいウマの絵)をいじりはじめた輝夜に耐えられず、文は退室を宣言してそそくさと部屋を後にした。


 文が部屋の外で《忘れる忘れる忘れる》と念じていると、部屋をいじり終えたらしい輝夜が出てきた。出た勢いのまま文のポケットに何か突っ込む。


「なんですかコレ?」
 取り出すと小さなウサギ人形が二つ。キーホルダーほどの大きさだ。手作りを思わせて、足からピロピロと綿が出ていた。


「こら、人の物をジロジロ見ない」と輝夜に叱られ慌てて戻した。
「多分忘れ物よ。あの子、薬売りに行く時それをカバンにつけていたから。きちんと外してある辺り、帰ってからも飾っておいたんでしょう。後で届けてあげなさい」


 ふうむ、と文はそれをカバンに入れた。


 次は因幡てゐの部屋――なのだが、《てゐの間》と銘打たれた部屋が開かない。この襖はカギなんてできないけど、と輝夜は首をひねるがとにかく開かない。横に引こうが押そうが動かないし隠しボタンでもあるのかと探したがどうしても開かなかった。そのうち業を煮やした輝夜が破ろうとした途端、「わッ!」とてゐの声が大音量で響き渡って二人は肝をつぶした。録音しておいたのだろう、てゐの声でメッセージが流れだす。


「警告。私の許可なしに部屋へ入ろうとするとバツが下ります。あなたの身近にある物がなくなります。もう戻りません。泥だらけで部屋に入れなくなります。運が悪くなります。犬のアレを踏みます。コレも踏みます。ソレも踏みます。必ずそうなります。みんな泣きます。泣いて謝る写真を私に提出するまで許されません、許されません、許されませんんん……」


 そのまま警告音はフェードアウトし、後には棒立ちの文と輝夜だけが残された。恐怖を感じた文が輝夜の袖を引くと、彼女も同じ気持だったのかそれに従った。こうしててゐの部屋から二人は離れた。


 そして永琳の部屋までやってきた二人だが、ここも文にとっては胡散臭い。永琳はてゐほど頑なではなさそうだが、油断させておいて落とし穴とか注射針が飛んでくるなどの悪質トラップが普通に設置されてそうだ。ソマンとか毒ガスが噴きだしたらどうしましょう……文が懸念を口にすると、「まあその通りなんだけどね」と輝夜がサラリと言って彼女は目を剥いた。顔を焼くほどの激苛性ガスなど、さまざまなトラップ設置に輝夜も付き合わされたらしい。


「あのう、まだ新聞とかやる事あるんで死ぬわけにはいかないんですが」


「私だってそうよ。だからこっち来なさい」
 輝夜が文の手を掴んで連れて行く。入ったのは横にある無人部屋だ。ここにトラップの形跡はなく、そもそも家具すらなかった。輝夜が手慣れた調子で押入れに潜り込むと、内側の壁を外して文を招いた。そういうコースですか、とひとりごちて従う。カラスは暗い所が嫌なのか、ピョンと肩から降りていった。暗闇を手探りで進むと、着いたのは永琳の部屋裏だ。彼女の部屋には掛け軸が飾ってあるのだが、軽く穴を開けておいたその隙間から覗き見できるのだという。


「でも、ちょっと大胆すぎやしませんか。本人気付きません?」


「ううん、永琳ったら案外鈍いから大丈夫よ。ガチガチに固めてるから、かえって油断してるのね。前はねぇ、一人でいるときに歌なんて歌ってたのよ。しかも子どもの歌なのにオペラみたいに歌うから、おかしくておかしくて。吹き出さないのに必死だったわ」
 促されて穴から覗く。他と変わらない普通の個室で、卓袱台や座布団に茶入が置いてある。撮影を交えつつ観察してみるが、おかしいものは見当たらない。隣の実験室に薬品や書類を揃えていたのだろう。ここはくつろぐための部屋か。よほど整頓が行き届いているようで、旅館の一室と言っても通りそうだ。他の部屋(と言っても角や隅にだが)に薄く積もっていたチリや埃は見えない。


 というか、この通路にもチリ一つなかった。


(どう見ても輝夜さんのために掃除したとしか思えませんよね……)


 ちりとりで角に溜まったゴミを掃除し、暗い中で刺さるかもしれない壁や天井のささくれも丁寧に剥がす薬師の姿を想像すると、どうとも言えないが心がモヤモヤする。それに気づかない輝夜が、永琳が鼻歌を歌いながら部屋掃除をしていただの、書く書類を間違えてあららとか口走っただの、束ねた髪の毛を回して遊んでただの話すと更にモヤモヤが大きくなる。


「極めつけはね、《あの子も早く大人にならないかしら》って夜中にね、お茶を飲みながらぼそーっと呟くのよ。永琳はイナバたちのお姉さん代わりもしてるから、きっとその事ね。苦労性なのよ。でも不思議ね……そのままお茶飲みながら、《部屋の掃除をきちんとしてくれれば》とか《どこであんな知恵を身につけたのかしら》とか、」


「ぶふっ」


 ついに文は吹き出した。


「ちょっと姫の前で失礼ね! つねるわよ!」


「ぷく、ぷくくぅ……いや、ごめんなさい……うくく、イタタ痛いです輝夜さん」
 ふくれ顔の輝夜が頬をつねるので、文は笑い顔になったり痛がる顔になってしまったりまた笑ったりと、なんだか自分が不思議に思うほどおかしな顔になってしまった。そのうちそれを間近で見ていた輝夜も一緒になって笑い出し、烏天狗と姫は一緒に暗闇で笑う羽目になってしまった。少女二人がきゃーきゃー言いながらおかしそうに狭い所で笑う様は、外から見るとたいそう不気味ではあったのだが、そんなことは二人にとって瑣末なのだった。はしゃぎあいはしばらく続いたり止まったり、それからまた再燃したりと忙しなかった。


 やがて輝夜が笑い疲れて暗がりを出て、文も従った。カラスが不満そうにアッと鳴くと肩に戻るが、不思議そうに文の顔を眺めていた。文がフィルムチェックとダメ押しの撮影もしている中、しばらく身なりを整えていた輝夜は、「では最後の場所に案内しましょうか」


「最後?」
 これで見るべき場所は終わったと思っていた文は、首をかしげた。
「他にそういう場所、ありましたっけ」


「ここまでは他の人のプライバシー、ここからは私のプライバシーよ。《京華鏡》をお見せすると言ったじゃない。さ、本邦初公開、誰も知らない物を教えてあげますわ。さあついてきて、永遠亭の真髄を見せて上げます」
 廊下を歩き出す輝夜の背中に一筋の侘を感じ取った文は、何ら口にすることもなく後に続いた。





 光の束が押し寄せてくる。


 空にきらめく光を筒が引き寄せては、種々の色彩に変換して内側に紐解いていく。乱反射から四方八方、千万無量の光たちが、《京華鏡》を通じて文の視界に飛び込んでくる。光と光とが繋がっては環を作る。白が赤になり、黄色を覚えては青に寄り道し、紫を通りながら緑を経由し白に還る。永遠亭屋上から筒を通して広がる虹の群れは、それだけで文の心を惑わすには十分すぎた。瞬きをしなさい、とどこかから聞こえたので彼女はそうした。目を開けると、片目だけのプラネタリウムがそこにある。片方には昼空、片方には星空が――星側をたどるのは星の群れと、一秒ごとに過ぎ行く何か。暗闇に染まった虹を文ははじめて見た。よくよく見てみると、それらは幻想郷に残された妖気のかけらたち。博麗大結界の内部を我が物顔で通りゆく力の群体たちは、星の色で空から空へと移っていく。それとともにここへ残された魂の欠片が、どよめく空を過ぎながら他方へ動く。残り少なくなった幽霊の尾っぽたちを筒が捉える。波とも線ともつかない流れたち。


 どこかで放射されただろう力の波動。


 どこかで振るわれただろう力の残滓。


 それを仰ぎ見る景色は、圧巻だった。


「ちょうどいい日、ちょうどいい時刻、それからちょうどいい物品」と輝夜が横で口にする。
「単なる光から陽光、妖気、それに魂たちの軌跡。万華鏡に色んな機能を付加したって永琳のレポートに書いてあったわ。真上に太陽がある時が最高ね。暗さと明るさをひとときに体験できるのは、ここくらいなの。どう? こんなのカメラに撮れないでしょ」
 いたずらっぽく輝夜が笑みを浮かべた。


「……そうですね。露出していれば撮れますが、これは内部にカメラを突っ込むわけにもいきません。ここじゃ撮影器具なんて形無しですね」


 文が目線を下げると、どこか寂しそうとも嬉しそうともとれる眼で輝夜が見上げる。彼女が下から持ち込んだ座布団に座ると、文も一緒に座った。今までずっと彼女の肩に止まっていたカラスが、輝夜の肩へと移った。輝夜の手を鳥は受け入れ、濡羽色の羽をなでられるとカラスが声をあげた。


 しばらく時間が流れた。もう時刻は昼か、あるいはそれ以降か。


 捨てられつつある世界の正確な時刻を、文は知り得ない。


「どれも面白かったわ、って永琳に教えといてね」
 輝夜が文の眼を見ないで、正面を見据えながら口にした。
「あなたが作った発明品――多分、半分ぐらいは私のために置いていってくれた物たち、どれも色んな使い道があって楽しいって。まだまだ永琳の部屋に眠ってるだろうけど、そのうちみんな探しだして、あなたが思いもよらない使い方をしてやるわ、って。多分それが、私が彼女に差し出せる最高のプレゼントよ。イナバ二人には、さっきの人形をあげてちょうだいね」


「輝夜さんの手縫い、お見事ですよ」


 ほつれた綿を見ておいて何言ってるのよ、と輝夜が照れた顔になる。
「ふかふかイナバは問題ないと思うわ。あの子は永遠亭ができる前から生きてた。きっと何が起きても対処していける。でも、へにょりイナバはちょっと頼りないからね。部屋の物を全部置いていくぐらいだもの、大切だったものを全部落としていくぐらいだもの。心の中はまだ、整理しきれてないと思うわ」


 文は思い出す。鈴仙との面談中に彼女が発した言葉を――私の部屋の写真は、撮らないでください。だって、人が見たら笑っちゃうぐらい恥ずかしい所ですし、見たら思い出しちゃいそうで。これから全部捨てて新しい生活を始めなきゃいけないのに、それだと辛すぎますから。本当は、喜ぶべきなんです。幻想郷に逃げてきた私は弱い私で、部屋にあんな変な物を溜め込んで、だからウサギたちに馬鹿にされるし……ここで強くならなきゃいけないのに、まだ胸が苦しいんです。だから、本当に撮らないでください。私は変わらなきゃいけないんです。


「これは迷い気味の彼女に対する私からの餞別。過去に囚われてはいけないけれど、全部丸めてポイなんてできないから。たまにちっちゃな人形を見て思い出すぐらいで、十分なのよ」


「……輝夜さんが目覚めた時は、誰もいなかったのですよね。ウサギに鈴仙さん、てゐさん、永琳さん」


 輝夜の顔をした彼女は笑った。


「まあ、ね。私は向こうの物置で目が覚めたわ。まだヒトガタとの中間だったから、しばらくの間、動けなくて窓から外を眺めてた。明るいのになんて寒いんだろうって思ったの。倉庫の中、一人でいると本当に冷えたわ。それから、埃と日差しが目に入ったわ。周りに転がる財宝たち、財宝じゃない物たちも。みんなみんな、死骸みたい。誰からも忘れ去られて。彼女たちに囲まれながら私はたくさんの昼と夜をそこで過ごした。やっと歩けるようになって出た時は……もうあそこに入れなかった。永琳の作った物とあそこの物に違いなんてないのに、不思議よね。


 だけど外界に出る気にもなれないから、私は永遠亭で暮らすことにしたの。家の中を渡り歩いて、そこら中に落ちてる輝夜の性格や記憶、天真爛漫さを拾いながらね。放っておいてもいろんな物が私に引き寄せられてきたから、知ることにも受け止めることにも事欠かなかった。


 だから、余計寂しかったのかも。


 そんな時に外を写したら、カラスが飛んでいるじゃない。捕まえて、時間つぶしに飼いならそうと思ったらあなたがやってきた。嬉しかったわ、誰かにプレゼントを託せるって思ったし、こんなにはしゃいだのも初めてだった」
 少女はカラスの鼻を撫でた。カラスは床に降りると、暇そうに彼女の膝をクチバシでつつく。姫が母性を匂わす顔になり、文は破顔した。


「あなたの正体を尋ねることは鬼門でしょうか。人離れた屋敷で目覚めし者――人形だったか、物だったか、それについては無粋ですか。新聞記者としての業ですね」


「そうね、無粋だわ。でも私はそれが嬉しい」
 少女が袖に手を入れると、何かを取り出した。小粒の宝石のように見えたそれらは色とりどりだ。《京華鏡》の輝きを思わせた。
「きっとこれは、本物の輝夜が持っていた物でしょう。だからこそ、私が輝夜の形で生まれたのでしょうね。これを蔵に彼女が置いていったのか、それとも忘れたのかしら。案外、眠っていて落としたのかもね。今でも目を閉じれば、ぼんやりと思い出せるわ。彼女の顔に部屋の天井、宝石たちが転がった机の上。ころころころり、ころころり。さしずめ、輝夜は私の母かしら、神かしら」


「ではあなたは、輝夜さんの心を受け継いだといえるのでは?」
 文の言葉に詩的ねえと彼女は答える。


 少女が上を向いたので文もつられて、カラスも上を向いた。


 胸がすくほどの青空。


 八雲紫の話によれば、先日博麗大結界に、不可視のヒビが入っている様子が観測されたという。


「そういう部分もあるでしょうね。だけど私の中に谺している何かがある。夜の満月に照らされた病的な廊下が見せる白さ。衣擦れと一緒に聞こえる家鳴り。イナバたちの声が響きあう廊下の喜び。上を行く人に対する床板の小言にお茶をこぼされた畳の反発。侵入者が踏み鳴らす足音とそれに呼応した屋敷の怒り。強いていうなら、家そのものを私は感じるのよ」


 長く使われた物には心が宿り付喪神となる。それらによる百鬼夜行を文は聞き及んでいたし、何度も見た覚えがある。


 永遠の名を冠するここでは、尚更か。


「そうですね。永遠亭の建物自体が、他の人々の――つまり鈴仙さんや輝夜さんから放出された妖力を集めた結果としての、結晶体ということでしょうか。輝夜さんの宝物と家とが交じり合って、自然とあなたが生まれた。あるいは、家自体が人との生活を演出するために、いままで宝石だったあなたをヒトガタに作り替えたのかもしれません。やはり家は人が暮らすための場所ですから、仮初めだろうと人に住んでもらいたかったのかもしれませんね」


「まあ見事な見識、さすが記者さんね」
 ぱちぱちと口で言いながらも少女が拍手して、カラスが羽づくろいをする。なぜか恥ずかしくなった文は、空咳をして居住まいを正す。


 永琳の部屋裏で考えたことを、言おうと思っていた。


「ですが、それはあなたがここにずっと縛られる理由にはなりません。永遠亭が父だろうが母だろうが、生まれたあなたはもう永遠亭そのものではない。新しい……誰かです。


 聞いて下さい。幻想郷はもう長くありません。だから住人たちはここから引っ越していき、残っているのは――


「自然とはそういうものよ、何だっていずれ潰えるわ」と、少女がやんわり文の言葉を妨げた。
「この筒で見れば結界でも何でも見通せるし、空気に希薄さが混じってるから、なんとなく分かるわ。それに申し出はとても嬉しいけれど、大丈夫。この世界がどうなろうとも、私にはここが居るべき場所だって分かるし、もう一人のお姫様が向こうにいるじゃない」と、輝夜を模倣した少女はくすくす笑った。
「この私が今更別の世界へ? とんでもない! 私にとってはこの永遠亭こそが住むべき世界なのよ。私が備えるのは永遠亭の感情、永琳やイナバたち、それに輝夜がここに住んだ記憶たち――それが最も活かされるのは、ここをおいて他にない。誰もいなくなった永遠亭で、誰も知らない過去を掘り出すことはとても楽しいわ。きっと私が終わっても、尽きることのない謎は泉のように噴き出すでしょう!


 知られざる誰かが作ったこの屋敷は、これからもここで根を張っては、大樹みたいに大きくなるのよ。ネズミが穴を開けるでしょうし、風雨が何かを崩すかもしれない。まだまだ知られない秘密が隠れてるかもしれない。住んでいる人も知らない秘密の一つや二つ、家なら持っていて当たり前よ。


 そうよ、本物の輝夜も知らない秘密を後から来た私が握るの! これってすごいことじゃない!?」


 力いっぱい言葉を放った彼女ははしたないと考えたのか口を覆い、文は苦笑いした。ここに焼酎か日本酒を用意できればよかったのだが、あいにくカバンの中には撮影器具しか入っていなかった。そもそも彼女は酒のような液体を飲めるのだろうか。


「どうしたの黙っちゃって。私の弁舌に気圧された?」
 やや心配そうに覗きこむ少女に首を振った文は、こう答えた。


「いえ、あなたも輝夜さんと同じく、食えない人だなと思いまして」


 カラスが小さく鳴き、その声はけっこう大きく外へと響いた。少女はそうねと頷き、座り直すとのんびりと、言った。
「なら、その食えないお姫様にちょっと説得されてみるのは、どうかしら」
 はい? と文が聞き返すと、姫は文の全体像を眺めながら、眼を細めながら口にした。


「何か思うところがあるんでしょう。私は最近生まれたばかりのお姫様だから、教えられることなんて少ないけど……そうねえ、色んなことを試してみたらどうかしら」


「試す、と?」


「そうよ。一で繋がらないなら二を行えばいいし、三にはまらなければ四に向かえばいい。一に終わらせようなんて性急なことを考えずに、気長に広く楽しんでみれば良いのよ。私がここを遊びつくそうと考えるみたいに、あなたも困っていることをすぐ解決しようと思わず、遊ぶように見ればいいのよ」


 文はぽかんと姫の言葉を聞いていたが、やがて頭の中で何かが繋がった気分になり、それでいて何にも繋がらなかった感じもした。よく分からないそれが生まれたことに文は驚いたが、同時に少しずつ顔に笑みが浮かんで、それは胸に温かみをもたらしながら文の胸に詰まっていた物を、やや転がり落としてくれた。だから文は浮かぶものにちょっと正直になって、少女も文のそれを薄く理解したようだった。





「もう行っちゃうの? 勿体無いわねえ。もっとここに居てもいいのよ。お茶ぐらい出してあげるし、あなたと一緒なら倉庫の探検もできちゃいそう」
 陽気な調子でありながら、この少女が本気で自分を引き止めてくれていることを心の底で文は理解した。だが時間がない。


「残念ですが、まだ行くべき場所がかなり残っているんですよ。紅魔館に太陽の畑、それから妖怪の山でちょっと作業もありまして……時間を取り過ぎちゃいました」


「あら! お忙しいのね記者さんは。もしかして私は邪魔だったかしら」
 言いつつ少女がカラスに手を伸ばしたので、今度は身の危険を察したらしい鳥がアァと鳴いて空に飛んだ。ちょっと冗談よ冗談! と彼女は声を上げるが、カラスは一足先に飛んでいってしまった。


 永遠亭の入り口、文が八・五を記録した場所に二人はいた。残ろうと意図していたわけではなかったが、他の面々が何をしているのかとか文がカメラの使い方を教えているうちに時が過ぎていった。太陽はじわじわ下がってきており、竹と建物への日差しが僅かずつ変わりつつあった。暑さの質がゆらぎ、光に軽さが増す。


 結局彼女の写真は、本人の許可が降りなかったので撮れなかった。


「まったく、カラスは頭が悪くてダメね。文、今度はウサギを飼いなさい。もしくは妹紅でもいいわ、私が許可します」


「まず本人の許可が必要なんじゃないでしょうか」
 文が突っ返すとそれもそうね、と少女は頷いた。なんとなくだが、彼女は文が藤原妹紅に首輪して連れてきても、コロコロ笑いながら受け入れるだろう。彼女に輝夜が持つ憎悪と闘争の感情までは複製されていないようだが、妹紅に対して何かしら思うところはあるらしい。


「いつまでここがあるか分からないけれど、いつでも歓迎するわ。倉庫整理は、やっぱり私一人でするから、一緒に弾幕ごっこをしましょう。きっと楽しいでしょうね」


「お手柔らかにお願いします。……それと、向こうの輝夜さんに伝言など、あれば承りますよ」
 あら忘れてた、と少女は沈思黙考し、しばらくしてから話した。


「そっちでも私みたいな姫でいなさい」


 少女に一つ手を振った文は、一閃して空へと舞い戻る。三秒足らずで最高速度に乗った烏天狗は、次なる目的地へと向かった。


 轟々と揺らめく景色や音を貫きながら、文は飛んでいく。


 八雲紫と八雲藍、それに博麗霊夢や四季映姫・ヤマザナドゥを交えた対談が重ねられていることに文が気づいたのは数年前。博麗神社に集まって宴会をするわけでもなし、茶と茶菓子しか消費していないような話し合いに文は首を傾げ、新聞記者としての勘を用いて潜入したのである。弾幕ごっこから軽度の暴力を用いた脅迫など、今日日の新聞記者ならありふれた展開の末に文が掴んだ事実――幻想郷のキャパシティ不足により、何十年後かにこの世界は自重で圧壊する。


 知った数日間は記事も何も手につかず、ただ酒ばかり飲んだ。誰とも会わず話もせず、ただ飲んで飲んで飲みまくった。吐いては飲んで吐いては飲んで、やがて感情が排水口を全て流れ落ち脳が平らに均されてから、文は情報を新聞にする許可を得るため八雲紫を訪ねた。それが許可されたのは三年前、新世界への移行するために下準備が着々と進行中のことだった。


 自重圧壊の原因は数多くの異変と、それに付随する外界からの流入だった。幻想郷にやってくるのは様々な物である。妖怪や神様だけでなく物品や概念、果てはかつて外で失われた過去の技術などがあった。それら多くの流入は妖怪たちの予想を遥かに越えてますます加速した。文の推測として外の世界は、あらゆるものを先鋭化させながら必要ない物を放り捨て、さながら多段ロケットのように極限的な推移をしていると思われた。その果てに何があるのかを、おそらく現存の人類ですら予想しきれないのでは、とも。


 幻想郷は集積地である。あらゆる不必要な物、幻想種、そして外で生まれなかった残滓がここへ流れ着く。それに貴賎はなく区別もなく、幻想郷は全て受け入れた。通常、世界に適正重量など存在しない。入れば入るだけ広がっていくのが筋であり、あらゆる物を収納しきるのが幻想郷だった――その前提をひっくり返すほどの莫大な質量だった。まさに全ての砂を一大陸に載せあげるが如き現象だった。自浄作用だけではどうにもならないほどの流入、そして外の物品による問題も目立つようになってきた。そうでなくとも、幻想郷のあちこちで山もかくやと積まれた物品たちは、傍目からも異様だった。そして百を越える計算の結果、ブラックホールに飲まれるように、内側からの圧壊が八雲紫と八雲藍によって結論付けられた。


 そこで紫と式神が編み出した案が、幻想郷に別の次元を重ねながら融合させることで、キャパを何十乗にも広げる措置である。ここで肝要なのは、元からあった幻想郷自体を拡張するのではなく、幻想郷をほぼコピーした同一世界にレイヤーを重ねるということだ。元々の幻想郷を拡大すればそれで済むと思われたのだが、既にして外界からの流入による属性汚染が許容領域をはるかに超えていた。外の属性を持つ物は幻想郷の属性に適応するため、紫の手によって検疫措置を受ける――だが加速した流入は管理者である紫の手にすら余りつつあり、検疫を免れた物品らが他の物を汚染しはじめていた。無闇な排斥は却って流入現象を悪化させる恐れもあった。結局、《自重圧壊を避けるために幻想郷の人妖や生物一般はほぼコピーした別世界へと避難措置をとるが、持っていけるのは昔から持っていた身の回りの品物のみで、身の回りの環境についてはほぼ裸一環での仕切り直し》ということになった。文は号外を用いてこの情報を報道した。


 当然のように大反発が巻き起こった。


 妖怪たちの肉体は強くありながら、精神は脆く変化に弱い。レミリア・スカーレットのように強大な吸血鬼であっても、幻想郷への移住には精神のヒビ割れを防ぐため、慣れ親しんだ居城をそのまま移築するしかなかった。よって強い妖怪ほど反発の度合いは強まり、その筆頭は紅魔館だった。この反発によって別な解決策が見出されるのでは、という希望もあった――博麗霊夢が、「ならアンタらが三日以内に解決策を提示しなさい」と突っ込むまでは。パチュリー・ノーレッジは七十一時間ほど、自身の知能や書物と格闘した果てに知恵熱で倒れた。結局、悪あがきのあまり憤死寸前のパチュリーを見かねたレミリアが全面的に折れた。同時期の、風見幽香による個人的な暴動が霊夢チームによって鎮圧されたことで、他の妖怪もなし崩しに従うこととなった。


 救いと言えば、地理的条件は変わらず、かつ幻想郷とほぼ同様の条件にプラスαをつけられるという点にあった。これによって弾幕決闘法のさらなる改良が見込まれ、かつ新作幻想郷には海などの新マップや搭載予定の新システムも大いに発表された。新作幻想郷と旧作幻想郷は移住期間の間、地続きで仮接続され、八雲紫によって最大限の検疫が保障される。同時に新作幻想郷でも一定レベルの生活条件は整っているので、産業はいつでもスタート可能であった。肝心の流入問題については、博麗大結界の外界フィルターの多重化改造と専用排斥地の検討(主な候補はスキマ空間)、かつ専用の式神たちを年周期で配属することで解決を図ることになった。念のため紫と藍が、現在よりも更に流入が加速化した場合を視野に入れてキャパや環境条件を試算した所、新作が自重崩壊するまで二十七万年ほどと観測された。その他不明な点があれば、本部である博麗神社を訪ねられたし。


 以上が、射命丸文が何度も号外や新聞を用いて書き込んだ全てであり、それらの情報はほぼ余さず幻想郷全土に伝えられた。


 現在も《幻想郷お引越しプロジェクト》は継続中であり、十年ほどの周期で段階的な移行が予想されていた。新作人里や新作紅魔館など、勢力が強い地域あるいは重要な建物はほぼ再現済みだった。また幻想郷人口の半分は既に新作への引越しを完了しており、残り半数の移動と旧作幻想郷との差異をなくすことが目下の課題である。


 そうした幻想郷における文の役割として、《過去の思い出発掘します》サービスがあった。前述のように妖怪らは変化に弱く、つまり精神的ストレスに弱い。《旧作帰ってきて症候群》という症状名までつけられた病状を改善するため、考えられたのが写真である。文の役割は、旧世界に残された各々の建物をカメラで写しとり、カウンセリング担当官や依頼者の元へと持っていく事である。家の外見や内部は再現できても、昔のものが備えた歴史をそっくりそのまま再現することは、かのハクタクの能力を用いても不可能だった。だから、かつて放棄しなければならなかった我が家が絵に移った姿を目にした少女らの表情は、様々だ。その中でも一番多いのは、死人からの声を聞いた遺族の表情だったと文は思う。

 
 今までのサービスとカウンセリング実施が功を奏して妖怪たちの症状は緩和されてきたが、未だに依頼は多く人間から頼まれることも多くなってきた。それらのせいで本業である新聞も時間的に難しくなってきたので、最近は同業者の姫海棠はたてと協力することも視野に入れている。


 ヒビに汚された空を飛びながら文の中で、新しい考えが生まれつつある。人がいなくとも変わりゆく家で眼にした物たちだ。


 罠に彩られたにぎやかな廊下。


 春を呼ぶ薬と引き寄せられたウグイス。


 宝石から生まれた姫君。


 古い物もこちらの考えとはお構いなしに変わりゆく。


 文は次の目的地へ向かう前に、妖怪の山にある自宅で眠っていたビデオカメラを持って行こうかと考えている。それを手入れして撮影すれば、より住人らの心に近い風景が写し取れるだろうと考えたのだ。それにどうせなら、色んな方策を練りながら撮影を極める方が良いじゃない。


 同時に文は、次に永遠亭に向かった時は、あのお姫様と一緒に写真を撮りたいと考えている。


 一抹の寂しさと、何かにすがるような期待を胸に文は飛び続ける。
復路鵜
2013年05月14日(火) 22時06分44秒 公開
■この作品の著作権は復路鵜さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
某所で作りかけの代物に、継ぎ足し継ぎ足し継ぎ足しを繰り返したら、これが出来上がりました。シチュー?
永遠亭の廊下とか、一度歩いてみたいですね。
一歩目から落とし穴とかありそうです。
たまには平和な永遠亭を。
このカラスは別なヒメに出会ったりするんでしょうか?

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