【オリジナル】掌の欠片たち
【前書き】
 N-Art Communication 2014にて投稿させていただいた小説作品です。
 場所が美術展だったので、一話につき原稿用紙三枚分の掌編を用意しました。
 全年齢層にOKな作品です。
 こちらはテーマに関係なく、様々なジャンルの作品を詰め込みました。
 全部十話のオムニバス作品で、一カテゴリ二話掲載しています。
 どうぞおたのしみください。

【目次】
『飛び石奇跡』
『書き次いで』
『列車』
『脱皮』
『少女と人形』
『人形と少女』
『俳句の瞬間』
『さかのうえで』
『色彩』
『石投げ』








『飛び石奇跡』


 電気を点けた途端に紫色の照明が灯った。見上げたまま電気を消してもう一度点けると、今度はピンク色だった。手が震えた。更に消して、また点ける。濃密な緑色が部屋全体を満たした。


「マジかよ」と俺は生唾を飲み込んで呟いた。覚えがあったのだ。


 電気が点く時は、よっぽどの店や場所でもない限り色なんてない。その筈だが、この電球に限っては例外だと、部屋を譲ってもらう時に友人が言っていたのを思い出した。これは俺も又聞きなんだがなとビールの缶を飲みながら友人が言った。二人きりで送別会をしていた。「どうもこの部屋の電気は、極稀に色が変わる事があるらしい」


「色がぁ? なんか特別な材料でも使ってるのか」


「いや……そういう訳じゃないんだが。つまり、部屋の電気、これが何万回に一回、何億回に一回、特別な色に変わる事があると……そしてそれを体験した者には、物凄い事が起こるらしい」


「はぁそうかい。それ誰から聞いた」


「ここの大家、すげえ年食ったバアサンだろう。ここを借りる時にそれを言ってたんだが、物凄い早口でな。俺も二、三回聞き直した」


「じゃあバアサンの独り言みたいなもんじゃねえか」


 そうして話が終わった。しかしいざ目の前にしてみると臨場感が尋常ではない。狭い部屋だが、そこに煌々と毒々しい緑の光が満ちているというのは息苦しいものだ。お化けでも出てくるのかと押入れを覗いてしまったが、何もいなかった。


 しかし物凄い事か。何気なく考えてみて、それから昨日買った宝くじを思い出した。猛ダッシュで新聞受けに駆け込んで朝刊を開いた。違う。今日の運勢を見てみたが、毒にも薬にもならない事しか書いてない。部屋に戻って見回したが、他にはテレビしかない。点けてみると『速報』と銘打たれた画面の中でキャスターが大声で叫んでいた。


 窓の外が暗くなっている事にようやく気づいて、外を覗いた。


 のっぺりとしたパンケーキらしき物が空に浮いていた。太陽や空を隠して浮かび、直径は百メートルを超えていた。外で叫び声が上がっていた。画面内の女も同じくらい叫んでいる。パンケーキの底が開いて、蝿みたいなものが噴き出してきた。砲口のようなものが開いて、地上に向けられた。誇示するように部屋中に緑が浮かんでいる。俺は息を飲み、もう一度電気を消した。祈るような思いで点けた。


 赤色の照明になっていた。


 途端に蝿たちが青色の花束を落とし始め、砲口から人型の生物が降りてきた。その後は歓迎パレードやらの後で首相や大統領と握手するのをテレビを通じて俺は見た。点けっぱなしだったので赤い光が部屋中に落ちていて、食っていたラーメンを凄まじい色に染めていた。


 電気を消した後、部屋は引っ越すことにした。










『書き次いで』


 男は泣きながら文章を綴っていた。遺書だった。絶望していたのだ。未練だらけの世の中ではあったが、それ以上に自分が生きている事による苦痛が耐え難かった。このまま静かに世界から消滅してしまいたかった。だがむせび泣いているせいか文章が支離滅裂だった。書き終えても、自分が何を記そうとしていたかパッとしない。構うまいとも思ったが、しかし最後の言葉がこんなものとはいかにも情けない。人様が見るのだから、もう少し丁寧に書くべきではないだろうか。男は内心で愚痴りながら文章を直し始めた。消しゴムをかけて文字を消していく。その作業ですら疲れる。跡が残らないよう丁寧に。


 一息ついた彼は、一気呵成に再度書き始めた。中学生の時に打ち込んだソフトボール以来の事だった。思いの丈を吐き出しきった彼は、酷く疲れた。未だに自身の境遇に対する落ち込みはあったが、とにかくこれをやりきったのは事実だ。上から下まで点検してみた。すると今度は字が下手なのかと思い始めた。人から字で褒められた事はないし、このパソコン全盛期の世の中でも依然として人は自筆を求められる。いよいよ嫌になってきたが、ここまで来たら放り出すのも惜しい。彼は消しゴムをもう一度かけて、汚れた忌々しい字を消していく。泣きたくなり、汗が出てきた。一体どうしてこんな苦労をしているのか。手が痛くなったが、ここで中途半端に投げ捨ててしまっては、あいつは遺書すら中途半端だったと思われる。震える手つきで、恭しく丁寧に書いた。溶岩の上を渡っている心地だった。最初から幾分変化した文章を綴って、書いて、ようやく終わった。字はまあまあ。きっと構成も大丈夫だ。後はどうするか。広げるべきか畳んでいるべきか。やはり人が見やすいように開けた方が良いか。だが折った方が丁寧に見えないだろうか。最後はそれなりにきちんとしていた、と呼ばれた方が良い。考え込んだ彼は疲れ果て、とりあえず眠る事にした。


 夢の中で彼は、また遺書と再会していた。自分ほどの背丈の紙と向かい合い、お前も大変だよなあ、と声をかけてみた。俺みたいな奴に書かれるだなんてな。生まれた状況が違うなら、多分社長とか事務局長みたいな奴の所に行けただろう。ごめんな、本当に。


 そんな事ありません、と遺書が答えた。あなたは僕をすごく丁寧に書いてくれたじゃないですか。僕は本当に嬉しいんです。あなたみたいな人に出会えて良かった。あなたは僕のお父さんだ。


 彼は目覚めた。


「お父さん」と、遺書が呼ぶのが聞こえた。瞬きするともう一度、お父さん。僕です。と呼んだ。あなたのおかげなんです。汗で濡れた手が現実であることを証明していた。


 彼は立ち上がり、震える手で紙を掴んだ。それを折り畳みポケットに仕舞った。命を頂きました、と遺書が言った。胸が熱かった。










『列車』


 その瞬間に彼女は目を覚ました。彼女が辺りを見回すと、周りには知っているような知らないような風景が広がるだけだ。辺りには夕暮れが落ちかけており、さながら逢魔ヶ刻を思わせた。一体何が起きたのか分からない。分からないまま彼女は塀垣から降りた。視線が低すぎる。自分はもっと身長が高かった筈だ。混乱を他所に周囲は流れていく。主夫が乗る自転車が彼女の尻尾を踏みそうになり、にゃあ、と彼女は声を上げた。その驚きのせいか、自分が忘れかけていた事に彼女は気づいた。とととと、と彼女はもつれそうになる体で駆けていく。今の彼女は、はじめて渡されたラジコンを運転しているようなものだったのだ。住宅街を抜け、車を避けながら進み、オフィス街へと入った。胸の奥を焼き焦がす熱情に掻き立てられて、彼女は足を動かした。どうしても言わなければいけない事が、伝えないといけない事があったに違いない。だからこそ自分は降りてきたのだ。過去について思いを馳せたが、焼き焦がされたフィルムのようにぶつ切りになって定かではなかった。ただ彼女は、今しかない、今しかない、とうわ言のように思った。これを逃せば次はないのだから。


 足を動かす彼女の目に、ちょうどある建物から出てくるビジネスマンが目に入った。彼はため息をつきながら鞄を持ち直し、空を眺めていた。彼女は彼の前に近寄り、見上げるとにゃあと声をかけた。


「なんだ、猫か。珍しいな。おい、慰めてくれるのか」
 彼が頭をなでてみると、猫は応えるように鳴いた。
「そうなんだよ。最近は良い事がなくてな。仕事も失敗続きだし、彼女と別れるし、それに親父が肝臓悪くしちゃってな。人間はいろいろ大変なんだよ」言って歩き出そうとすると、猫がついてきた。構わず帰社しても良かったが、どうせなので公園で休憩する事にした。猫はまだついてきた。夕暮れが眩しく、かえって今日が終わりかけていることを彼に告げた。コーヒーを買ってベンチに座って、上司に出す提出書の中身を空想していると、猫が彼に擦り寄ってきた。ぶにゃぁ、うぐるる、ぐにゃあ。鳴き声もフシギな感じだ。さてはこいつ、発情期か。触ると嫌がらないので、彼は猫を抱き上げてみた。猫はぺろぺろ顔を舐めてきたので、彼は恥ずかしくなった。すると猫は瞳孔を開き、にゃあと何かを訴えかけてきた。歌のような調子に彼が聞き惚れていると、猫の叫びは大きくなった。公園中に響く音で、切実な感じがした。構ってほしいのか、と彼が思うと、夕暮れが建物の陰に隠れたのが分かった。猫は涙を流して地面をひっかき、また一声鳴いた。猫の態度には悲しみが感じられ、彼も悲しくなった。だがそうすると急に猫はぴたりと動作を止め、猫らしい四つん這いの体勢に戻った。辺りを見回した猫は、どうしてここにいるのか理解できないような顔で、茂みへと走っていった。彼は目を丸くしてそれを見送った。猫は二度と戻ってこなかった。









『脱皮』


 ストロークがひたすらに疾くなる。


 水の中に飛び込むと、始まるのは爪先の筋肉から上半身に伝わる運動だ。足先、臀部、そして背中や腕を通じて肩を動かす。時間の感覚が徐々にねじれて行く感覚を覚えながら、彼は体を動かした。体、水、そして水面だけが意識に残る。クロールの体位で突き進む彼が顔を水面に上げると、照明が異様に眩しい。太陽めいて光を放つそれは彼の瞼を大いに刺激し、体を通過して水底へと抜けていく。また水に戻る。光度が落ちる。顔を上げる。光。また水面。


 音響が体に響いた。誰かの声かもしれないし、あるいはしわぶきの一種かもしれなかった。もしくは誰もが無言かもしれないが、彼の心には盛大な何かが常に響いていた。喧しさの一種は彼を圧倒していた。だが体の動きはますます早くなる。彼は改めて体と一体化していたが、同時に離脱しつつある感覚も確立しつつあった。横でも誰かが動いている筈だが、彼の目には何も映らない。照明、水面、そしてライン先のみ。心あるいは体が狭まる感覚とでも言うべきか。体が尖っていく。幼い頃、もっと視野を広く持ちなさい、と分からない事を言われた記憶が蘇る。小さい時期も彼はこうやって泳いでいた。


 最初は川から始まった。父に連れだされた。飛び回る虫は嫌だったが広い水の中ではしゃぐのは爽快だった。はじめて着けたゴーグルに魚の陰影がこっそりと写った。体つきが大きくなると場所も変わった。屋内プールと屋外プールを行ったり来たりしていると、他の誰かと競うようになった。その度に前へと進んだ。それだけを意識して体を練り上げた。肉体の中で指先が、足先が、毛細血管が白血球が大声でわめきたてている。帽子の中の髪が彼の心に触れて、手先がざわめく。涼しいとも暑いともつかない感覚が体を包み込む。これはまるで昔を振り返る――走馬灯だ。彼は世界から消え去るのだろうか?


 そうではない、と断固たる声がどこかで響いた。お前は新しい場所に行くのだ。そのためにこれは必要な措置なのだ。


 あなたは誰ですか?


 もう知っている。


 気づけばすでに終点近かった。彼はあらん限りの力を振り絞り、そして体を進めた。筋肉が伸びる。一本の槍と化す。矢となる。どこまでも疾く。やがて手が壁に触れた。その瞬間、彼は自分の体がどこかを抜けた事を、何かを一枚すり抜けた事を知った。通過あるいは透過。全てから紙一枚隔てた場所へと通じた気配を察した。場内で叫び声が上がっている。アナウンサーの叫びが響いた。


「金メダル! 日本金メダルです! やりました! これで世界一だ! そして……自己記録更新! 八秒も! これは世界に類を見ない事です! まさに人類の進化だ! 新しいスタートです!」










『少女と人形』


 目覚めた少女は自分の人形が自分以外と話をしている事を知った。ベッドで覚醒すると、かわいがっているバツウサギの声が聞こえた。


「……でさぁ、最近のご主人は乱暴な訳よ」


「分かる。投げられるのとかツライよね。全身にガタ来るんだ」


 少女は憤然として起き上がり、バツウサギが「やべっ」と黙った。だがもう遅い。少女はバツウサギを掴みあげ、どうして私以外とお喋りしてるのかしら、と尋ねた。バツウサギの目が泳いでいた。やがて、ごめんなさい、と答えた。少女はバツウサギを紫色のテーブルに下ろし、部屋に詰め込まれた人形たちを見やった。みんな揃って明後日の方角を向いたので、何を考えているかよく分かった。このハウスの主人は自分なのに。人形たちの向きを直してやるのは自分なのに。


「そんな考えなら、あんたたち倉庫に仕舞ってあげるわ」
 少女は猛然と叫び、身長三メートルのぬいぐるみが震えた。
「倉庫にいれて、外から鍵をしてやる。みんな真っ暗で出られないのよ」


 人形たちは反論した。横暴だ。ご主人ばかりズルい。しかしこの部屋での力関係はハッキリしてるので、やがてみんな黙った。バツウサギがおずおずと切り出した。彼は人形たちのリーダーでもある。


「気分を直して下さい、ご主人。今日は私ら、新しい仲間たちを拾ってきたんです。これを見て」とバツウサギが仲間たちから一匹を引きずりだした。片手にフライ返し、片手にフライパンを構え、片目に眼帯をしている、平凡な人形だった。どうも、と小さく挨拶する。


「なにその眼帯。私みたいじゃないの」
 少女は歩み寄って人形をつまみ上げた。
「球体関節だし、瞳はドロイドルビーだし、皮膚もシリコンじゃない。双子製造って事? 気に入らないわ。あんた、髪型変えなさい」
 少女はフライパン人形に言ったが、すると人形は目に見えて怯え始めた。もともと捨てられた人形であったため、極端に主人に対して怯えるのである。加えて少女の外観は人形に酷似していた。


「まあまあ、こいつはズィーヴァ様も気に入ってるんですよ。ご主人、無闇に変えるわけには行きません。添い寝してみては如何でしょう」


 バツウサギが言うので、仕方なく少女はフライパン人形を抱きしめて寝てみた。すると案外気分が良い。フライパンはもぞもぞ動いて嫌がっているが、それに構わず少女は眠りに落ちた。見届けたバツウサギは首を振り、少女の布団をかけ直した。そしてズィーヴァ様に届ける予定の、少女の観察日誌を項目別に書き出した。鰐と獅子がフライパン人形に喋りかけ、人形は自分に抱きしめられるなんてコリゴリだわ、と言った。バツウサギとしてはどっちも似ているので同じだった。天井がない部屋から見上げると、空は薄暗くてよく見えなかった。


 どよりとした空気が部屋に満ちる。寝息と談笑だけが聞こえる部屋は無機物たちの重みに満ちていた。今日も部屋は静かだ。









『人形と少女』


 バツウサギの日課は少女を観察する事だ。変化があればそれを日誌に記し、ズィーヴァ様に報告するのが義務だ。だがそれ以外は自由なので、ウサギは最近やってきたフライパン人形とよく散歩をしている。


 それにしても不思議なのは、少女と同じ人たちが外をぞろぞろ歩く光景だ。だいたい朝の決まった時間に行われるのであるが、彼ら彼女らはガッコウという建物に吸い込まれていく。気になったウサギは、フライパン人形と一緒にガッコウに潜入してみた。


「大丈夫かしら。見つかって怒られないのかしら」


「大丈夫だって。どうせ見つかりはしない」


 彼らはそろりそろりと歩いた。そして少女たちが座っている箱を覗いてみたが、全員がこぞって同じ姿勢になって音を聞いている。不思議な事はここも天井がなく、真上はよく見えなかった。ウサギとフライパンは行ってみるかどうするか迷った。


「大丈夫かしら。見つかって連れ戻されないかしら」


「大丈夫だって。どうせ見つかっても大したことじゃない」


 天井を伝って二人は登った。すると摩訶不思議な事に同じような空間があってガッコウもあったのだが、そこにいる生き物は二本足であったり三本足だったりと忙しない。おまけに球体関節を持ったものがおらず、生き物たちの皮膚はひどく滑らかだ。瞳も生きているようで不気味だったが、ウサギたちは探索を続けた。自然を見て、生き物の群れを見て回った。変な場所だったが、そこにも天井がなく、登ることができそうだった。相談をした。


「大丈夫かしら。見つかって踏み潰されないかしら」


「大丈夫だって。どうせ小さすぎて分からない」


 二人はまた登ったが、その先にいる生き物たちはもっと意味不明だった。とにかく大きくて数が多く、そしてあらゆる生き物が物に乗って生きていた。人形たちとは似ても似つかなかった。天井がなかったが、フライパンが恐怖を訴えたので観察を切り上げ、家へ戻った。あれこれ協議しながら日誌を書いていると、少女がウサギを掴みあげた。


「あなた、今日ガッコウに来たでしょ。クラスの子たちが噂してたわ」


「なんのことでしょう」とバツウサギはしらを切ったが、少女は疑いを解かなかった。やがて夜になったので、少女はベッドで眠った。ズィーヴァ様の遣いがやってきたので、ウサギは日誌を渡した。


「しかし、ズィーヴァ様は本当に大変なのだな」
 世間話をした。


「そりゃそうだろう。しかし一体どうして」
 遣いは羽を動かした。


「いや、今日は外を見に行ったんだが、どの生き物にも頭の上に糸が繋がっていたよ。あれをみんな動かすなんて、まさに達人技だと思ってな」
 遣いはフンと鼻を鳴らし、去った。ウサギは空を見上げ、どこまで行けばズィーヴァ様にお目見えできるのだろうと思った。










『俳句の瞬間』


 刹那というものが訪れる時がある。


 ある種の精神合一と呼ぶべきか、もしくは千の穴の中に一つだけ、正解の穴を見つけたような瞬間でもある。もしくはその瞬間は意思そのものが何かどろりとした形を以って具現化し、それでいて形にとらわれない異種共存のような形を取ったのかもしれない。模様はともかく、それはある日、ある時、ある刹那の間に訪れる。私の脳裏によぎったのはネジである。おもちゃのネジ。今度の演劇に使う、という事で俳句を作る事になったのだが、そのテーマは『玩具』だ。さて玩具と言っても様々な形がある。携帯用機器からけん玉まで。あれこれと悩み、書き綴っていた私の目に映ったのは、秋の中で少女が手に持つネジがついた玩具のイメージだ。柄が汚れた古い代物。人の手汗を受け止めたそれは年代を感じさせ、持ち手の運動に応えようとする。


 否、そうではない。既に少女はどこにもいない、過去の存在だ。そして秋と言っても、それは過ぎ去りつつある時間の中に仮組みとして存在する『秋』であり、イメージの中でのみ存在するパラレルワールドとして私の瞳の奥に映る。つまりそれは、私が選び取らなかった千億の世界を踏み台として浮かび上がった、まさしく選ばれた模様なのだろう。少女より先に、人より先に、けん玉の先端の柄の汚れをひたすら見つめる。絵が一時的に繋がった気がする。次は曖昧な絵を文章に落とす作業だ。限られた定形の文字に落とさなければこれは完成しないのであるから、絵や小説よりも大変細かい。それでいて濃密なイメージを必要とするため難度は高い。


 次に私はノートを見る。だが絵を細部まで拡大したイメージを掴んだとしても、それを現実に持ちだすのが難しい。空気の中から文字を引きずり出すかのようだ。知らず知らずのうちに私は消耗しつつあるのを感じる。それはイメージを維持するための体力であり、同様に見えない世界と繋がるためのエネルギーだ。曖昧さを留める精神力だ。だがとにかく引っ張りださねば。チリつく頭でペンをとり、書こうとする。違う。絵が変わりそうで、私は目に力を込める。脇の歳時記を横目で見る。イメージと季語が脳の際で小擦れ合う。絡まりあった紐同士が解かれる事なく渦巻く。そこに針の一点を差し込まなければならない。粒よりも小さい情報を、小説という大仰な媒体では掬い取れない情景を。顔が熱い。産みの苦しみとはこういう事か。電気を発するシナプスが、固定化された詩に合う一節を求めて彷徨する。あれだ、これだ、それだ――一言。一言さえあれば。そして私は、玩具が凍える情景をいつのまにか手にしている自分に気づく。寒さ、あるいは震え。掴んだ、と思う。そして息を吐いてペンを握る。


 かくて私は俳句の瞬間を手にする。イメージと季語と字のリズムに集中しすぎる余り、ペンのインクが切れていることに気づかない。










『さかのうえで』


 少年が水たまりを踏みつけるとばしゃりと良い音がした。雨上がりの土地は温かく少年とその友達を迎え入れていた。神社の隅には松の木が生え、狛犬が立ち並び、心電図が錆びた機械のように板切れの横に置かれていた。少年が心電図に見とれているとボールが横腹に当たった。少し痛かった。横を向くと友人二人が立っていた。


「おめぇ何見てんだよ。早くキャッチボールやろうぜ」
 言ったのは友達のヨシトである。丸刈り頭のせいで栗坊主というのがアダ名だったが、少年はヨシトで通していた。その脇で携帯ゲームをやっているのはアキだ。アキは引っ込み思案だが面白い場所を知っているので人気者でもあった。少年は鷹揚に笑うとキャッチボールに興じることにした。グラブをはめてボールを投げると、思ったより鋭い角度でヨシトの手に吸い込まれた。空は何重にも映しだされて美しかった。


「つーかアキ、お前何のゲームしてんの? テトリス?」
 しばらくキャッチボールしているとヨシトが切り出した。アキはちらと目を上げて、どうもり、と返した。は? と返したヨシトの脇にはマントを着た大男が立っていたので、少年はそいつ目掛けてボールを投げつけた。


「ちょ、サンゴお前どこ投げてんだ!」
 空を飛んでいったボールを追いかけてヨシトが叫ぶ。ごめーん、と少年は返した。久しぶりの体はきれいで、若々しく、瑞瑞しかった。あらゆる悩みは何もなく、全てが払拭された感じがした。ヨシトがボールを投げ返したので、少年は空へと投げてみた。一メートル上でトンボがぴとりと取り付き、そのまま少年の手元へと落下した。すげぇ、と二人がいった。何そのトンボ。オニヤンマかな。二十八年前に絶滅したハチキレトンボの一種だよ。秋になるとシベリアからやってくるんだ。アキは携帯ゲームを地面に置いて少年に近寄った。三人してトンボを触っていると、トンボが動き始めた。するとトンボの大群が沢山やってきて少年たちを包み込みそうになったので、三人はうわあと叫んで神社を出た。グラブは置いてきたが、まあいい。どこにでもああいうのは転がっている。


「これからどうする?」
 顔に跡をべたつかせながらヨシトが聞いた。


「サンゴの家行く? 広いしさ、それに遊べる道具あるじゃん」
 痩せた顔になってアキが言った。ウチは五年前に引っ越したじゃん。少年がアキの腹を小突くと、太った顔になったアキがへへと笑った。そのまま三人で歩いていると、昔の車や未来の車がたくさん走っていて面白かった。宿題やりたくねえなぁ、とヨシトが言うので少年は頷き、ボールでドリブルしようとしてみた。しかし無理で、溝に落ちそうになったので念力で戻した。歩く人はみんな見たことのある人ばかりだ。全体的に見てここは楽しい場所だったから、少年はいつまでもここに住んでいたかった。いずれ引っ越す時期が来るのかもしれないが、それまでは。道端ですれ違うおじいさんに挨拶をする。










『色彩』


 列島を包む雨は細かい。


 多くの人の心は空へと浮かび上がって水蒸気の一部となり、果たしてそれは雲となってまた地上へと降り注ぐ。たまに立ち昇る煙のようなものが空へと静かに帰って行き、それは鳥やカオンたちに自身の居所を伝える。魂や心にも色がある事実はこの星の誰にも完全な証明が為されていないが、私は色がついていることを知っている。この列島の場合は特にそれが顕著だ。とある都市のとある建物から立ち上る色は重々しく、後にそこには制服を来た大勢の人員が押し寄せる。反対に南側の療院には涼やかで静かな色合いが流れだす。なお海を隔てて存在する七大陸と八太洋にも同じほどの水蒸気は浮かんでおり、存在の確かさを何より知らせている。宇宙に目を向ければたくさんの暗黒から不純な色が流れようとしているが、それは星の機構によりシャットダウンされている。あちらの色はこちらの色よりもよほど強く、それでいてよほど固い。水彩画と油絵の差異のようなものだ。


 やがて列島から生じる水蒸気に変化が生じる。色とりどりであった水蒸気が燃え立つような色へと変わり、それが列島そのものを包み込んでいく。山を、港を、都市を包み込んでいくその煙には終わりがない。同時多発的に発生した多量の水蒸気は列島を直に飲み込む。人の流れが激しくなる。泰然としているのは星ぐらいのものだ。大陸へと水蒸気は伝染していく。半島から大陸へと続いていた色合いは、さまざまな場所へと移っていく。星の数多くの地域に分散した色合いは、それのみでどんどん強まる。固形物のように硬くなっていく。私は座って眺めている。やがて列島が鮮やかな色合いに染まる。時間とともに変色していく。誰にも止める事はできない。様々な大陸で色の爆発が起きていく。さながら色彩同士の融合であり、海や空を塗りつぶしていく。しかし空そのものに本質的な変化はなく、海もまた同じだ。在るのは色の上塗りであるが、ダイヤにペンキを塗ったからと言って価値が変わるわけではない。列島を中心に始まった色の交流は、やがて色自体が失速していく事で終息する。世界中を巻き込んだ色の繋がりは合体あるいは統一化による不揃いで終わる。しかし心たちによるすり合わせに終わりはなく、深層では永続的に続く。これに時間的な感覚は意味がない。そして私にも関係がない。大陸が一つ消えようが、色合いが極端に変化しようが、私に義務は生じない。私は座り込み、また色の観察をはじめる。種はどこにでもある。また立ち上るだろう。在る限り運動は終わらない。全ては色の赴くままに、どこかに行き着くまでなくならない。もしも終わりが来れば私も終わるのかもしれないが、それまではここで座る事が為すべきことなのだ。そして何度目かの交流が始まる。色が分裂し、拡散する。世界はそれを何度も繰り返すのだろう。私はそれを見続ける。










『石投げ』


 少年は気づいたら賽の河原にいた。三途の川が見える。周りの子たちが泣きながら石を積んでいた。声が聞こえてきた。


「お前は周りに嘘をついた。そして親よりも先に死んだ。だから罰として永遠に石を積み続けるのだ」
 そんな理不尽が、と少年は叫んだ。だが声はピタリと止んだ。仕方なく、少年は石を積み始めた。


 はじめの頃は周りの声が煩かった。彼ら彼女らは泣きながら石を積み、一人で崩してはめそめそしている。少年も聞いていると気が暗くなってきたが、しかしそのうち石が積み上がると嬉しくなってきた。自分の座高と同じぐらいの高さになった辺りで、牛鬼がやってきた。


 棍棒を持った巨大な牛鬼は、それを振り回して少年の石を吹き飛ばした。自分が吹っ飛ばないのは奇跡だと思った。そのまま鬼は周りの石も滅茶苦茶にして去っていった。周りの子らはずっと泣いていたが、少年は次第に怒りが溜まってきた。どうしてあんな奴に好き勝手にさせるんだ。少年は隣の子に話しかけた。ねえ、次に鬼が来たら僕がやっつけてやる。だからそんなに泣かないで。馬鹿言わないでよ。諦めきった声が答えた。あんなデカい奴に勝てるわけがないじゃない。他の子に話しかけても同じだった。みなおとなしくカチャカチャと小石や平べったい石を積んでいる。少年も次第に、みんなが正しいのかもしれないと思い始めた。そしてまた石を積み始めた。


 どうしてここに来たの? 少年はまた隣の子に尋ねてみた。車に轢かれたんだ、と隣の子は少年を見ずに答えた。信号無視だって。ふうん、僕は病気。少年は言った。入院しててさ。周りの人に大丈夫すぐ治るって言い続けてたんだけど、結局ダメになっちゃった。みんな泣いてたよ。ここじゃみんな泣いてるよ、と隣の子が答えた。話していると、また牛鬼がやってきた。牛鬼は喚き散らす大人のように叫び、子供たちの石を粉々にしていく。そうして隣の子の石もまた砕かれた。その子はうええんと泣き、誰かの名前を呼んだ。少年もそれを聞いて泣きだしたくなったが、積んでいた石を握ると怒りがこみ上げてきた。


 だから少年は石を牛鬼に投げた。それは抵抗だったのだろう。牛鬼の目に当たったらしく、ぎゃあと人間のように叫んだ。もう一つ投げると、顔面に当たった。このガキい、と鬼が言った。鬼が棍棒を振り回すと少年に当たりそうになった。体を伏せると鬼の後ろから石が飛んできた。隣の子が石を投げていた。やめろ! やめろ! あっちに行け! 鬼が怯むのを見て、もう一人石を投げた。また一人投げ、そうするとみんなが石投げに加わった。牛鬼はちくしょう、と叫ぶと残りの石を崩せずに逃げ出した。子どもたちはやった、と叫んだ。みんな泣いていたが、笑っていた。隣の子が少年を助け起こした。追い払った、と少年は泣きながら言った。また追い払ってやる、と隣の子は涙を拭い、笑った。少年も笑った。次第に笑い声が高まっていった。


《終わり》
復路鵜
2014年11月12日(水) 20時42分44秒 公開
■この作品の著作権は復路鵜さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 掌ほどの作品しか受け付けてくれなかったので、「大丈夫かなあ」とキーボードをぺちぺちやりながら生まれた作品です。しかし十作は多い。
 個人的なお気に入りは【石投げ】と【書き継いで】になります。両方とも死が近いじゃん! というツッコミはさておいて。
 ちなみに【さかのうえで】の舞台は黄泉平坂になります。わかりやすい方とは思いますが、はてさて。
 お読みいただきありがとうございました。
 

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