【艦これ】恋もよう、ところによりスイーティ
 金剛型三番艦の榛名には誰にも知られていない秘密がある。一つは酒保におろされた珍しい西洋ケーキを、姉妹の誰にも知られずに夜中にこっそり食べた事。それが五日前で、榛名はその際のカロリーを気にするのと罪悪感によって、日課のランニング距離を一キロ増やした。


 もう一つは眠る前に日記をつけている事だ。書いていて大変恥ずかしい中身だから、誰にも――それこそ金剛にも――見せられない。中にはだいたいこんな事が書いてある。


【今日は秘書官当番の日なので、提督と一緒に仕事が出来て楽しかったです。休憩時間に提督とお喋りしました。この頃の深海棲艦は大人しいから、資材蓄積に余念がありません。お風呂あがりの提督を見られて幸運でした。提督が洗濯物を置いてトイレに入ったから、少し服の匂いを嗅いでみました。男の人の匂いは濃いけれど、スーッとするとドキドキしました――】


 書いた後で日付を入れると、無性にとんでもない事をしてしまった気分になって榛名は枕に頭を押し付けてしまう。だがそもそも昼間に榛名がやった事であって、いまさら狼狽えてもどうしようもない。霧島と同室なのでなかなかプライベートを確保するのが難しいのだが、彼女はたいてい眠る前に提督と将棋を打ちに行くので(羨ましかった榛名だが、その分日記の時間に充てられる事に気づいた)、この時間帯は一人になれる。だからこうして思いっきり一人きりの考えに浸ることもできる。日記を書き終えた榛名は、廊下を誰も通っていないことを確認してから、個人用机の施錠してある引き出しの中に仕舞ってあったハンカチを取り出す。もちろん提督のものだ。


 こうして人の物を勝手に持ちだしてしまうのは泥棒そのものだし、提督に知られれば間違いなく叱責される。叱責で済めば良い方かも知れない。だがそれでも榛名にはどうしようもなかった。常に提督が持っているものが、彼が掴んでいるものが欲しかった。だから榛名はハンカチに顔を埋めながら、提督に顔を触られ、頭をなでられる様を空想する。誰でもやっている事だ、きっと金剛お姉さまだってやっている、と免罪符を自分の心にかけながら。これを病的だと言う資格は誰にもない。


 ぎゅっとハンカチを握りしめた。


 やがて榛名の頭の中で、提督がドアを開ける場面が浮かんだ。榛名は思わず直立不動になって向き直るが、提督は彼女をイスに座らせて自身もベッドに腰掛ける。どんな御用でしょうと榛名が首を傾げると、口をもごもごさせた彼は、やがて榛名に日頃の礼をしたいと口にする。いつも秘書官の仕事を頑張っている榛名に、改めて感謝したいというのだ。榛名は大丈夫です、そんな必要ありません――と、内心とは裏腹に口にする。だけど提督は懐から封筒らしきものを取り出すと、彼女に差し出す。それは直筆の手紙で、最も榛名が欲しいと思っているもの。それと一緒に送られる、手作りの造花。薔薇を模したものに彼女は見とれて動けなくなってしまう。こんな贈り物は生まれて初めてだ。いつのまにか提督が榛名のすぐ前にいる事にも彼女は気づかず、ふと目を上げると彼が両手を伸ばして、榛名を抱きしめる。目を白黒させる榛名に提督は、これからもっと、私の世話をして欲しい、そう言って顔を――


「榛名……そこでゴロゴロして何やってるの?」


 一秒で榛名は体勢を元に戻した。提督代わりに自分で作った抱き枕を壁に戻すと、何事もなかったかのような顔で彼女は自身の姉妹に、霧島に向き直った。


「お帰りなさい、今回はどうでした?」
 心中で【忘れて忘れて忘れて】と念じながら笑顔を浮かべる榛名。霧島は苦笑しイスに座り込んだ。


「なかなか強くなったわ。前は飛車角落ちでもトントンだったけど、最近はメキメキ上達して、飛車落ちでも一発食らうくらいかな。ここに来た時より、格段に先を見る力が身についてると思うわ。良い兆候ね。最初は頼りなかったけど、これからの戦いも期待できそう」
 霧島はそう口にして、窓から遠くの海を見た。太陽が落ちれば黒々とした色に変わる海が、視線の先に広がる。榛名はそっとハンカチをポケットに仕舞いこみながら、提督と一緒に制圧した海域を思う。沖ノ島、そして北方海域。


 榛名が提督とはじめて出会ったのは沖ノ島での激闘の最中だった。深海棲艦らとの戦いの途中で、海中で眠っていた榛名は艦娘たちに発見され、引き上げられてこの鎮守府にやってきた。


 目覚めてはじめて見たのが提督で、彼は大丈夫か、と声をかけた。


 はい、榛名は大丈夫です。


 そう思いながら彼と言葉を交わした。彼の視線は榛名の中を見透かし、彼女が戦力として役に立つかを見て、あるいは女の子としても見定めているかのようだった。今でも榛名は彼の瞳の色を思い出して、心臓が一つ脈打つのを感じる。刷り込みにも似た親愛の感情は、けれどもすぐに訓練と演習に打ち消された。


 訓練訓練訓練そして戦闘。戦いと練習が反復され、提督は鬼神の顔で深海棲艦撃滅を命じた。榛名はそれに従った。敵対する者たちを打ち倒し、大破しては修復して立ち向かった。凶悪な深海棲艦らは全力で榛名を叩き潰そうとしてきたが、彼女は抗い、敵どもを次々轟沈させた。途中からの横入り参加ではあったが、最前線で戦う事を目指し、人一倍艦娘としての練度を上げていく榛名を提督は気遣ってくれた。演習が終わればアイスクリームをごちそうしてくれたり、新品のタオルを使わせてくれた。時間に余裕がある時は整備員の中に混じって、手ずから装備を着けてくれた。榛名は戦うための艦娘だったから、つとめて彼に対して業務用の笑顔で答えていたけれど、心の中では触れられる度に浮足立った。想いが湯気を立てて熱くなって、沖合に出てから顔を赤くした事もあった。楽しいとも嬉しいともつかない感情が盛り上がって、どうしようもなくなるとそれを運動や訓練にぶつけた。他に術を知らなかった。


 提督の行動が他の艦娘にも行われるものだとしても、榛名にはどうでも良かった。


 ただ提督の役に立ちたかった。


 その心情に変化が現れたのは沖ノ島以降。とうとう第一線に加わることのできた榛名が敵戦艦を落とし、敵主力も同時に撃破された後だ。その地での深海棲艦の勢力は壊滅。艦娘たちの全面勝利に終わった沖ノ島。そして帰投。その日は母港で大宴会が行われた。みんな酒やお屠蘇を飲んで大騒ぎになって、酒に弱い艦娘たちは早々にダウンした。榛名は見かけより強い方だったから、終盤まで居残ってちびちび酒を飲んでいた。無礼講となった宴会の後半、そのうちに中心となって祭り上げられていた提督がふらついて、顔を真赤にして動かなくなった。ぐるぐると喉を鳴らして、脇で飲んでいた重巡那智が揺すっても目覚めなかった。これはいけませんね、と軽空母鳳翔が言った。お酒を飲み過ぎてしまったようです。部屋までお連れしましょうか。そうして、彼女が提督に寄り添うように体を持ち上げようとした。


 それを見た榛名の中で、何かが燃え上がった。


 目の前の御膳を脇にズラして榛名は立ち上がった。そのまま鳳翔と提督の元に近寄ると、「その必要はありません。榛名がお連れします」と、いつのまにか言った。言ってしまっていた。どこかでそれに混乱している自分がいるのを知りながら、榛名はやんわりと鳳翔を押しやり、自分が提督を支えた。彼はむにゃむにゃ言いながら夢の世界に旅立とうとしていた。きっと提督は、今日の戦闘を観察していた分、精神的にお疲れなんです。私たちの戦いを見ていることしかできなかった分、余計に辛かったと思うんです。だから第一艦隊所属の榛名が、きちんと責任を持ってお連れします――鳳翔に早口気味に言った榛名に、鳳翔はやや目を白黒させながら、そうですね……と返す。黒い、気まずい空気が流れようとしていた時、金剛が割って入った。


「そうネー! テートクはお疲れですし、ここは私たちがお部屋まで運びマース! この戦闘で大活躍だった、この金剛シスターズが栄えある提督運搬の任を承りマース! sorry、鳳翔サーン! 今度お店に飲みに行くからネー!」
 それを聞いた鳳翔はどこかほっとしたような顔になって、それではお願いしましょうか、と口にした。他の艦娘たちも榛名たちに一任してくれた。そのまま榛名と金剛は(その時期、まだ比叡と霧島は鎮守府にいなかった。まだ海底で眠っていたのだ)、提督の体重を噛み締めながら、ゆっくりとした足取りで薄暗い廊下を歩き、提督の寝室まで彼を連れて行った。その途中で金剛が言った。


「hey榛名ー、いくら相手が鳳翔サンでも、あんな言い方はしちゃ駄目ネー。もっとやんわりと、ソフトに言わなきゃいけないヨー、okay?」
 金剛はウインクしながら陽気に諭すように口にした。榛名はお菓子の摘み食いを見つかったような気持ちになって、はい、すみませんでしたと言った。提督がまたぐにゃぐにゃと言って首を上げたので目が覚めたのかと思ったが、すぐに首を落とした。ここで起きないでくれて良かった。


「全く、このヒトは艦娘の気も知らないで……酷い男デース、ねぇ榛名?」
 やや楽しそうに言う金剛。あてつけのつもりか提督の体を揺さぶると、うう、と彼が呻いた。やや気持ち悪そうだ。心配になった。


「え? え……はい。そうですね」
 榛名はとりあえずそう答えた。榛名の心はいつのまにか、金剛への受け答えよりも、自分にぴったりとくっついている提督の匂いを嗅ぐのに――たとえそれが酒臭いものでも――夢中だったから、おろそかになっていた。彼からは酒の臭いとじっとりと滲んだ汗臭さ、それから男特有の、どこか砂っぽい、毛深さを感じさせる匂いがした。どれもが榛名にはないもので、もっと嗅ぎたくなった。だからこのまま寝室に着かなければいいかな、とも思ってしまった。


 そうすればずっと横にいられるから。


 だがいずれ終わりが来る。榛名が彼の香りと体温と重さに夢中になっている間に私室前まで来てしまった。榛名に提督を預けた金剛がドアを開け、二人はベッドに提督を寝かしつけた。その時に彼の腕を掴んでいた榛名は、手を握りたいな、と思った。


 だから何も考えずに提督の手を握ってみると、榛名の手よりもよほど大きくてびっくりした。指の間に指を重ねて強く握ると、温かみと一緒に切なさのようなものがやってきて、榛名は呻きそうになってしまった。汗がじんわりと掌に滲んで、提督のそれと重なり合っていると思うと、お腹の下にぐっと力が入った。提督が唸った気がした。


「榛名?」


 呼ばれた彼女の肩が跳ねた。目を覚ました提督に呼ばれたに違いない、と直立不動になった榛名は、けれどもすぐに後ろの金剛に言われたと気づき姿勢を直した。心臓が凄まじい早さで動いていた。金剛が傍に寄って、耳打ちする。彼女の顔はニヤニヤしていて、声にもその調子が現れていた。


「榛名、どうせだから提督に添い寝するネー?」
 瞬時に耳まで赤くなった榛名は、そんなはしたない事はしません、と反論した。後ほど一万回は後悔する事になるその言葉に、金剛は「じゃあ仕方ないネ」と言って部屋の外に出た。そのまま榛名においでおいでするので、彼女は酒か別の何かのせいでフラつく足取りで提督の私室から出る。よく考えれば榛名も相当に飲んでいる。ドアを閉めるとなぜか大きくため息がもれた。もし金剛がいなければドアをもう一度開けていたかもしれないし、中に入っていたかもしれない。だが彼女はそうせず、金剛と一緒に宴会場まで戻り始めた。戻る間、二人は様々な話をした。この戦場の事や深海棲艦について。酒保の品揃えや、今度街に行った時に買いたい物。ボードゲームやお酒について、いつもより金剛はとりとめなく話し、榛名もつられるように舌が動いていた。それから提督の事になった。初印象に容姿に彼女たちに接する態度まで話して、金剛が言った。


「榛名は提督の事が気になるネー?」
 金剛が母のように、どこか年上のような、どこか見透かしたような顔を浮かべた。そういうお姉さまこそどうなのですか、と榛名は返そうかと思った。だが考えてみて、結局口を開けたら予想と違う言葉が出てきた。


「はい。お慕いしています」
 榛名はそう言ったものの、艦娘ならばそういうものだ、という口調であって、そこに性急さや切迫感はそれほどなかった。だが金剛はそれをきちんと受け止めたようで、ワァオと大げさに手振り身振りをした。見透かした顔の中に笑みが浮かんで、それは飄々とした金剛らしくもあり、あるいはどこか作り笑いのようにも感じられた。


「それなら応援するからネー、頑張るネ、榛名! 金剛お姉さまは榛名の恋路をお手伝いするネ!」と言った。榛名はどこか無感情に、はい、ありがとうございます。榛名も何かあればお姉さまをお手伝いします、と返した。それからニコニコとした二人は宴会場へと戻り、お酒を傾けあった。艦娘たちも女の子なので、提督を抱えて行った事に誰がからかいの言葉を飛ばした。それと一緒に、提督の女遍歴はどうかと混ぜっ返す声も出てきた。榛名はそのどちらもなんとなく受け流し、みんなに大量のお酒をついで回った。それ以上提督についての話は出てこなかった。


 後に榛名は、自分の想いが軽々と口にした事よりも随分と重い物だという事を知ることになる。







 どろりとした空間の中で、提督が榛名の手を握っていた。かつて榛名からそうした事がある、所謂恋人繋ぎ。指と指とを絡め合わせて、手の触れた所が熱い。それから提督の体が動いて、ゆっくりと榛名を抱きしめる。彼の腕の感触は背筋を震わせ、胸板と肩が彼女のそれに触れた。抱きしめられただけで失神すらしそうな程の心地よさだった。燃えそうな心で榛名は、提督、と呟いた。彼は何事かを返して、榛名を強く、強く抱きしめた。感覚が天上に浮かびそうになる。


 道ならぬものだとは知っている。


 兵器としての艦娘と運用者という、人々が決して認めないものだとも知っている。


 だがそれでも、榛名はひたすらに提督に恋焦がれていた。


 いつからあったのか。どこから来たのか。それらの疑問を無視し、かつて金剛に口にした言葉よりも数千倍、数万倍も重い何かが、榛名の胸の奥に秘められている。


 じっと提督と顔を見つめ合う。芝居にすら出てきそうもない陳腐なありふれた光景を、榛名は夢見ている。なぜならそこから全てが始まるから。全ての繋がりが浮き上がると知っているから。


 スイと提督の顔が動いて、榛名の鼻に彼の鼻を当てる。小さく電気が走って榛名は呻いた。それから提督の主導で頬と頬が擦りあって、榛名は立っていられないほど強い気持ちよさを感じる。足が震えて、それを悟られまいとより一層力を込めた。心が繋がっている熱情が、熱さが胸を走り抜ける。やっと榛名は自分の両手が空いている事に気づいて、改めて提督の腰に手を回す。体と一緒に心に触れたようで、融け合う感覚はこの上もなかった。もれる息が熱い。恋人同士なら他にするべき事がある事を、榛名は知っている。耳ざとい彼女は、談話室や廊下での会話を聞き逃さない。だけれどその勇気がない彼女は、今も提督に成されるがまま――


「榛名」と彼が口にして、耳に触れるものが榛名を動かした。この上もないものから、それを乗り越えて。


 眼前の、男性のために。


 ゆっくりと榛名の顔が動いて、自分の唇が提督のそれにあたる。おずおずと、怖れながらだからその感触はゆっくりとやってきて、かえって榛名は痺れるものを感じた。唇の上の綺麗に剃ってある髭があたって、異性というものを強く意識する。もう何も考えられない。思考は空白になって、榛名の心を覆う。表面だけ触れた唇を提督は受け入れていく。じわり、じわりと触れる面積が広がる。心地よさが広がる。これは接吻なのか、それともそれ以上の何かなのか。榛名は目を閉じている。これ以上、これ以上は……


「好きだ」と唇を触れ合わせながら提督が言って、口に入る彼の吐息に榛名の心臓は昂ぶる。空白の空白の空白。半円同士が繋がって、完全な円を形作る。完結。天にも昇る心地とはこれを言うのだろうか。心臓の奥が、眼の奥が振動して、つ、と涙腺が鳴動する。榛名はその瞬間だけ艦娘であることを忘れて少女になる。一人の男に恋する乙女、ただその人と添い遂げる未来しか見ない娘になる。彼の言葉は妙なる調べとなって榛名の耳介を抉る。恋の沼にどっぷりと浸かりこんだ榛名は、榛名も提督の事を、と言おうとする。一瞬先の恋慕が、溶け合う未来が見えて、喜ばしさが押し寄せた。


 そこで目が覚めた。


 目覚めて横にあるのは昨日霧島から貸してもらった少女漫画。男と女が恋しあって一緒になる、それだけのストーリー。読みながら寝ていたらしい。潜っていたはずの布団は自身の足に押しのけられて、部屋の空気が寒々しい。榛名は夢の感触を味わうように、ゆっくりと布団をかけ直す。隣で霧島の寝息が聞こえてくる。


「……提督、好き、です」


 これが霧島の耳に入らない事をただ祈るばかり。







 絵柄に出る恋物語では千回でも叶う恋愛。


 榛名もそうなりたいと願った。


 テレビの中では全ての恋模様が実る。事件や別れがあっても、最後には全てが元通りになる。


 榛名もかくありたいと思った。


 だが現実には榛名は単なるヒトガタ兵器で、提督はその指揮官だ。ギャップが強すぎて、話にもならない。


 ただそれでも。


 一度だけでも、提督に女の子として認めてもらえれば。


 人としての榛名に、少女としての榛名に恋を見つけて貰えれば。


 それは成就された祈りとして、榛名をどんな勝利よりも幸せに導いてくれた。







 あるいは提督への想いが深化しはじめたのは、彼からプレゼントをもらった事が切っ掛けの一つかもしれなかった。


 とある日だった。榛名が週番で秘書艦をしていた時に、電話がかかってきた。榛名に取り次いでもらってそれに出た提督は、途中から難しい顔と困った顔を何度も往復しはじめた。曖昧な返答と、相槌の連続。気づかないフリをして仕事をしていた榛名だが、やがて電話を置いた提督がため息をついたので話しかけてみた。


「どうかされましたか?」


「いや、どうかしたというものでもないのだが……うーん。実はだな」と提督は話し始めて、榛名は目がキョトンとした。まだ深海棲艦たちがこの海域を跳梁跋扈していた頃、鎮守府でとある輸送船を護衛した。南洋地域からこの鎮守府を経由して本土へと向かうのである。大量の鉱石に技師、また掘削装置も載せており、資材に転用できるので価値は非常に高かった。まだ榛名が来る前の事で、当時の提督は非常に緊張し、練度が十分な駆逐艦たちを更に訓練させた上で遠征に望んだ。無事に運搬は成功し、輸送船は帰還した。御礼の電話が鎮守府にかかってきた際、提督の嬉しさはひとしおだったと言う。そして本日、加工していた資材の一部を用いて、実は嗜好品を作っている、と鉱石業者の社長が電話をかけてきたのである。


「基本的に資材云々は軍部で用いるのが通例なんだが、予想よりも多目に鉱石を採掘できたみたいでな。市民らに精神的な余裕を持たせるのも大事だろうということで、一定量なら自由に使って良い、と許可がおりたらしい。そこで会社の社長はブローチやらペンダントなどを作ってみて、それが社交界など上流階級で大好評だった。おかげ様で大成功でした。是非今後共よろしくやって欲しい、という事でウチに電話が来た」


「フーム」
 途中でお茶と菓子を差し入れに来た金剛も一緒に話を聞いている。榛名も休憩代わりに耳を傾けていた。


「電話の内容なんだが……宝石とかでブローチやペンダントを作って送るので、これからも会社を贔屓にしてください……という内容でな。了承はしたのだが、装飾品をどうするか、で困っている」


「そのまま受け取ればいいのでは。護衛についた艦娘に贈るということで」と榛名は返したが、うーむと提督は腕組みをした。


「それはそれでいいのだが……実はな、護衛任務についたのが、みんな宝石に興味なさそうな駆逐艦たちでな。えーと、満潮。霰。叢雲。望月。天龍。多摩に、最後に球磨」


「アー……」と金剛が唸った。
「あの子らはクセが強いからネー。満潮に叢雲は突っ返されそうだし、霰は……あの子はそもそもアクセに興味がないネー。望月は睡眠グッズの方が良さそうネ。天龍は武闘派……多摩は猫じゃらし……球磨は鮭の缶詰ネ。ンー、でも報奨という事で、ひとまず配るのはいかがでショ?」


「それが、ペンダントとブローチで二つしかない」
 提督は眉に皺を寄せ、難渋した顔つきになった。
「リーダー格は球磨だったが……球磨と多摩か天龍に分けるのも難があるし、かと言って駆逐艦たちに渡してもそれはそれで軽巡たちから文句が出そうだ」
 榛名も眉根を寄せる。六人に対して二つの果実。これを分配するのは確かに厄介だ。分割する訳にもいかない。良い案はないか、と提督は二人に尋ねてみた。金剛と榛名は考え込んだ。


「ア」
 金剛が先に言い出した。
「それなら、そのブローチ、私たちが頂くのはどうでショ?」
 提督は目を白黒させた。榛名を目をパチクリとさせて、一瞬何を言われたかわからない顔になった。それから金剛の妙案に気づいた。
「私たちは使いドコロの難しいブローチをもらう。代わりに、私たちが遠征のみんなにもっと合う褒賞の方法を考えて、分け与える。私に榛名に遠征隊たち、それに提督もhappy,社長サンもhappyでgreatなidea!」


「いや、しかし球磨たちに与えてくれと言われたし、お前たちが遠征に出た訳ではないし……」と反論する提督に、金剛が後ろから被さると肩を揺さぶり始めた。彼女は頬を膨らませているが、スキンシップしている金剛の中にも恥ずかしさはあるのかもしれない。


「私達はその分戦闘に出てるデース! 戦って戦って、海域を広げてるデース! みんなの海を取り戻すために頑張ってるのは同じデース! デショ、榛名?」
 金剛がウインクして榛名を見やり、はっとした彼女はこくりと頷いた。もしかしたら提督からプレゼントをもらえるかもしれない、という期待感で心が躍った。それは他の全員に内緒でもらう、という罪悪感と拮抗していたが、やがて提督からの贈り物にわずかに天秤が傾いた。


「そ、そうです! 提督!」
 榛名は断固とした口調で口にした。
「榛名も、できるならブローチが欲しいです! それに褒賞の方法もいろいろと考えました。球磨ちゃんとは一緒に山に入って訓練できますし、多摩ちゃんは特製の玩具を作ります! 霰ちゃんには――」


「わ、わかった」
 たじたじとなった提督が頷いた。
「じゃあ品物はお前たちに渡す。代わりに、新しい褒賞についてはお前たちも一緒に考えてくれ……ううむ、しかしこんな談合みたいな事、あんまり褒められた事ではないが……ええい、まあいい!」
 彼は自身の後ろ頭をぐしゃぐしゃと掻いた。
「頼むぞ、お前達!」


 二人はニッコリ頷いた。


 そして後日、プレゼントが配送されてきた。指定に合わせて提督の部屋に直接届けられ、届けに来た検査係のオジサンは提督の顔を見てニヤリと笑い、「憎いですなぁ」と冗談ぽく口にした。


 榛名と金剛で三人が揃い、部屋に鍵をかけた所で提督が箱を開けた。厳重に梱包された箱を開け、封を解いていく。柔らかい紙を取りのけて、中身が引き出されていく。そして入っていたのは、緑色のブローチ。赤色のペンダント。榛名の目が宝石に飲み込まれた。エメラルドらしきブローチは部屋の光に凛として反射し、息をのむほどの美しさを漂わせていた。赤いルビーは神々しいほどの美々しさを備えていて、迂闊に触れるのがためらわれるほど。呼吸を止める凄絶なものがあった。かつての本土にはこうした装飾品があふれていたが、今は軍需品として取り上げられて久しい。希少な、どこまでも希少な物が目の前にある。ごくり、と金剛が生唾を飲み込むのがわかった。


「これは、けっこうな代物だな」
 提督でさえも価値が分かったようで、チラと目が背後の窓に向いた。カーテンが閉められて誰も見ていないが、妙に視線を意識してしまう。


「……榛名は、どっちが欲しいネ?」
 じっくりと品定めをしていた金剛が訊いてきた。先に選ばせて残った方を取ろうというのだろうか――金剛にしては後手に回るアプローチだが、この美しさの前では是非もない。そして榛名でさえも、どうすれば良いか迷った。普段から美に親しむ機会がないから、これほどの物を目にした時、どう振る舞えばいいのかわからない。エメラルドは丘に舞う風のようにさりげないけれど、確固とした芯を持っている。ルビーは見るもの全てを一瞬で虜にする、星々のような色彩を感じさせる。どっちかを指さそうとして手が止まる。口も動かない。目がエメラルドとルビーを往復して、分からなくなる。大声でわーっと叫びたくなるほどの迷いが生まれる。うう、と呻いた時、提督が呟いた。


「榛名は……エメラルド、似合いそうだな」


 エメラルド。緑の神秘。榛名の目が箱の右側にあるそれに引き寄せられていく。心の奥で溶け出すものを感じながら、榛名の何かがめまぐるしく動いていく。だから彼女はそれに従って、エメラルドを指さした。


 そこで金剛が混ぜっ返すように提督に抱きつき、


「テートクゥ。じゃあ私には何が似合うネー? 榛名にはエメラルド、なら私にはー?」
 提督はもがいて金剛を引き剥がすと、どちらかで言えばルビーだな、と答えた。それに金剛は満足したようで、なら私はこれネ! と真紅に光る物を選んだ。所有者が決まったので提督はホッとしていたが、すると金剛が「提督、じゃあ首にかけて欲しいネ」と言って榛名は目の前が真っ赤になった。さながら結婚式だった。


「なんでそこまでするのだ」


「どうせプレゼントするなら、そこまでしてもらわなきゃ女の子は困りますデスヨ。それが男の義務ね、hurry!」
 適当な事を言う金剛だが、提督も納得したようで、なるほどと頷いた。榛名は真っ赤になって何も言えなかったが、やがてここで反論しても二対一なので口を閉ざした。プレゼントという事実だけで目が熱くなるほどだ。これ以上はどうすれば良いのかわからない。


 提督が箱からルビーを取り出し、金剛の首に取り付ける。パチリ、と掛け金が合うと金剛がわずかに頬を上気させて、エヘヘ、と言った。女なら誰でも嫉妬しそうなほどの可愛らしさだったが、榛名はそのパートをあまり覚えていない。ただ気づいたら提督が目の前にいて、エメラルドでできたブローチを手にしていた。提督が緩慢と思える速度で手を伸ばして体が竦みそうになったが、我慢して直立不動を崩さなかった。手が背中に回る。顔が近づく。金剛の視線を意識しながら榛名はかつて夢見た場面を思い出した。あの時は唇が合わさったが、だけど今は緑の神秘が首に来ようとしている。


 これは武装ではない。艤装でもない。少女だけが手にできる、美しさの結晶。


 手に汗が滲んでいる。このまま目を閉じて感覚をシャットダウンできたら良かったが、近づく提督の雰囲気と榛名の心がそれを許さない。首にわずかに手が触れて、はぁ、と声が出る。提督も少し顔が赤い気がする。気のせいでなければ良かった。パチリと音がする。神秘が、風が榛名の体に触れる。提督の腕が徐々に解けていって彼女は寂しさを覚える。離れていく提督を見ながら榛名は息をつく。だけど彼の目線が榛名の顔や服やエメラルドに添えられていた事は忘れようがないし、榛名が少し顔を近づければ届く距離にあった事も思い出に残る。熱に染みる布のように、心に張り付いた感情は残り続けるだろう。


 ともかく、二人のプレゼントはこうして渡された。金剛と褒賞の方法について相談しながら榛名はエメラルドを思い出し、たまに部屋に霧島がいない時にブローチを身につけてみる。そこにあるのは深みのある森林の色合いで思い出す度に提督の目線が頭から離れずに榛名は悶々とする。そして同じ感覚を金剛お姉さまは共有してるだろうかと思いつつ眠りにつく。


 なお後日談として、褒賞として霰には海外文学のハードカバーが、満潮には新型の酸素魚雷を、霰とは榛名がつきっきりで特別訓練、望月には手作りのフカフカ枕を、多摩は二股に分かれた特製猫じゃらし、天龍には本土の刀鍛冶が作り上げた本物の刀剣、球磨には金剛のツテで手に入れた鮭の缶詰が別々にプレゼントされた。全員が非常に喜び、それが榛名の心にわずかに残っていた罪悪感を和らげてくれた。








 最近の秘書艦は金剛が担っている。激戦が続いて仕事が多忙になれば霧島や榛名と言った他の艦娘も呼ばれるのだが、今はどちらかというと資源の蓄積がメインになっているので、金剛のみで賄えている。この間は榛名が秘書艦の仕事を担えたが、それも半ばルーチンを忘れないための基礎反復に過ぎず、一日過ぎたら金剛と交代してしまった。そして金剛は秘書の仕事として、面倒な数字の計算をしたり提督と一緒に作戦を練ったり、あるいは艦娘からの報告をまとめている。


 とは言え、必要以上に、一緒にいる。


 秘書艦になった艦娘は基本的に提督と行動を共にしている。朝は一日の予定をおさらいし、朝礼が済めば仕事にとりかかる。日報、週報、資源の計算、休暇を含めたスケジュール管理(艦娘が一人増えると幾何学的に複雑さが増す)等等。昼休みは一時的に仕事から解放されるが、それが終わると提督と意見交換の後に再び仕事。昼過ぎからは午前中にあった演習のまとめや、装備の更新。時折工廠の人員が陳情書や書類を携えてくるのでそれにも対処。別に行事ができれば打ち合わせが重なる。深海棲艦の奇襲などあればてんやわんやとなり、出撃させたり周辺警戒に当たらせたりと手慣れた艦娘でも慌てる事態となる。それは提督も同じものらしく、予想外の戦闘が起こった日が三日も続くと、精神的に疲弊してぐったりする。そうして夜になり、見張りや夜回りのスケジュールも最終調整し、解散である。ここで至急の書類が来れば夜中仕事もザラだ。つまり秘書艦は自身が戦闘に赴くのでない限り、ぶっ続けで提督と一緒の部屋にいる。


 だが金剛は通常の秘書艦よりも常々一緒にいる。そしてスキンシップが、異様に多い。


 例えば昼休み。提督には悪い癖があり、溜まった仕事があると一直線に片付けたがるので、食事も適当にしがちだ。金剛はそんな時、無理にでも提督に昼食を食べさせはするのだが、その方法がいけない。それはつまり、提督が書類を読み込んでいる横からスプーンや箸を差し出す。


「はい、アーン」と金剛が笑顔で匙を差し出すのだ。


 それを食堂で見つけた榛名は目を見はった。しかも提督は全く気にせず食べていた。夫婦か。若夫婦の積りなのかあれは。しかもあろうことか、提督の口元をハンカチで拭っていた。マナーが非常に悪くだらしないと榛名は大いに叱りつけたが、なぜか金剛のハンカチから目線が離れてくれなかった。


 例えば仕事中。先に挙げたように提督にはワーカホリックの徴があり、何かしている時はあまり周りを見ないで一直線である。せっせと仕事をする彼の近くに秘書艦はいなければならない。だからと言って金剛が提督の真横に座るのはどうだろう。真正面でもいいし別々の机でも仕事はできるではないか。そして数字合わせと称して体をくっつけるのはどうなのだろう。体も数字ですとか言う積りか。書類を提出しに来た榛名の目の前で、胸の膨らみを押し付けるのは過剰なスキンシップではないのか。あれでは異性である提督が慌てふためいて仕事にならないではないか。だが提督はそれを見もしないで「うむ、数字に間違いはないな」とか言っている。朴念仁なのか。


 例えば週末の懇親会。談話室で開かれるそれには多くの艦娘が参加し、彼女たちは提督と会話したり無駄なスキンシップをしたり無様な触れ合いをしている。榛名は穢れ無き乙女なのでスキンシップのようなはしたない真似などしないが、駆逐艦の電だったり初風のような幼い子どもが色気に走って将来間違いをしたりしたら問題なので、いつもよりもキツめの眼差しでおとなしくさせている。重巡愛宕や高雄などはお話をしながら無駄に大きい塊を提督の腕に押し付けたりしているので、榛名は戦艦が重巡をたしなめるのが務めという事でニッコリ笑顔でそれを邪魔している。提督はそんな榛名を見て「どうした榛名、そんなにお菓子が欲しいのか」と頓珍漢な事を言うので肘をつねりたくなるがおとなしくお菓子をもらって我慢する。仙人か。彼は仙人の積りなのか。


 ここでも最大の障害物は金剛お姉さまであり、やはり金剛は榛名の乙女としての役割を嘲るように提督にいちいち触ったり服の匂いを嗅いでは「提督、今日はちゃんと洗濯してあるネ!」と新妻のような事を言っている。艦娘ワイフの積りなのか。奥様は艦娘とか言うのか。一度榛名は対抗して提督に触れて、「こんな無骨な手では淑女をエスコートしにくそうです」と言ってみたのだが、


「いや、深海棲艦との戦いは長期戦になるだろう。女性を近くに置く積りはないよ」


 総ブーイングだった。艦娘は女性じゃないのか。提督は女の権利をいたく傷つけた。アンタ馬鹿じゃないの!? レディーの前で何てこと言うのよ! 司令官私がいるじゃない! 不死鳥の通り名を持つ私もちょっとこれは厳しい。貴様の根性を叩き直してやる! まぁ……そうなるな。頭にきました。筑摩、飯はまだか? 榛名と言えば死にそうな気持ちになって実際目が死んでいたのだが、金剛に、


「提督は私たちの事、きちんと戦力として見ているって事ネ。それに信頼してくれるって事だから、そんなに落ち込むことじゃないヨ」と耳打ちされてやや気持ちを取り戻した。同時に部屋に保管してあるブローチも思い出してしまって顔が赤くなる。


 そんな提督に関するあれこれがあるのだが、基本的に金剛が彼にべったりというのは事実であって非常に悩ましい。


 そして本日も、演習の報告に上がった榛名の前で金剛は提督にマッサージをしている。と言ってもイスに座った提督の後ろから肩もみマッサージをしているのに過ぎなかったが、提督との刺激がなくて物足りなかった榛名にとっては物凄く一大事な事であって「何をしてるんですかぁー!」と叫んでしまった。気持ちよさそうに目を閉じていた提督が、ん、と顔を上げる。


「休憩ネ、きゅーけい。いつも仕事仕事だと肩が凝っちゃうし、たまには私の素晴らしいマッサージ技術を発揮しなきゃネ! あ、書類はそこに置いといていいヨ」


「……休憩という割には、金剛お姉さまだけが頑張ってらっしゃいますように思いますが」
 榛名は金剛と提督をじっとりと見やる。これを向けると他の駆逐艦はぴゃっ!? とか言いながら離れてくれるのだが、金剛は素知らぬ顔で肩を揉み、提督と言えば、


「いやまあ、体が凝っているのは事実なようでな……あ、そこそこ。もう少し休んだら仕事に戻るから。すまんな金剛、世話をかける」


「いえいえ、お互い様ですカラ♪」


 榛名は割とイラっとしているが二人は仲良くしている。頭の中で提督の両頬をつねっている榛名だが、現実世界でそういう事をするわけにはいかないのですまし顔でいる。榛名を見て金剛は楽しそうにしていた。そこで榛名は机に手にした書類を厳かに叩きつけるように置き、


「演習の結果が上がりましたが重巡たちの装備が思わしくないようで芳しい成績ではありませんでした今回は相手に空母が多かったためと思われます対空装備を厳にお願いします」と、あくまで淡々と告げる。何故か気圧されている提督にため息をついた榛名は背を向け、部屋を出ようとする。そこに声がかかる。


「あ、榛名!」


 振り向いた榛名に金剛が手招き。何を言うかと思えば、「ちょっと榛名、私は手が疲れたので、代わりに提督にマッサージお願いしマース!」と告げる。いきなりの事に事態が飲み込めていない彼女だが、提督はそれもそうかと言うように頷き、


「ありがとう金剛。じゃあ榛名、ちょっとお願いしようか」と言った。榛名の体が硬直している間に金剛は脇を通り抜け、鼻歌を歌いながらチラリとこちらを見て、そして部屋を出ていってしまった。残される榛名と提督。仕方なく彼女はおずおずと提督の後ろにまわり、肩に手をかけた。硬い。外で工事のような音がしている。そして榛名はぐり、ぐりと力を込め始める。あーそこいいねえ、と提督は口にするのだが、その様がちょっとオジサン臭くて榛名は吹き出してしまう。疑問に思った彼にそれを教えると、


「あいつらと戦争中なのがいけないんだよ。戦争は人を老けさせるからな。榛名はそうならないよう気をつけろよ」


「はい。でも榛名は大丈夫です」
 あなたのお側に居られれば、と心の中で付け足しながら、手に力を込める。提督の体から徐々に力が抜けていき、安心したように彼が大きく息をついた。


「いや、なんだか久しぶりに気が抜けた気がするよ……勿論良い意味でな。なんだか最近、常に肩肘張っていたからな。これも榛名のおかげだな、ありがとう」
 榛名は心底からの笑顔を浮かべて、マッサージに戻った。机の上には大量の書類と筆記用具等が置かれているが、今この時ばかりは、それらが目の前から消え去って欲しいと痛切に思う。そうすれば、少しは楽になってくれるだろう。それにしても、男の人の体というのは随分と筋肉質だ。服の上からでも分かるんだから、直接肌に触れてみればもっとよく分かる。そこまで考えてはしたないと頬が赤くなってしまうが、それを悟られないように顔を手首で擦る。


 提督は若い。だが、それ以外に特に個人情報を知っているわけではない。実のところ名前も知らない。出会って数ヶ月というのにここまで知らないというのもおかしなものだが、金剛でさえ知らない。彼自身が一切語らないし機密事項になっているので照会もできない。あまり話したくない過去があるのかも知れないし、もしくはあまりここが忙しすぎて、振り返る余裕がないのかもしれない。経歴が記された書類もどこかにはあるだろうが、そこまでほじくり返すほど榛名は無礼ではない。できるなら本人の口から教えて欲しかった。とは言え今はただ、この人の横にいられて良かった。だけどできるなら、もっと知りたい。好きな食べ物とか、気に入った場所。良かった過去の思い出。過去に人と付き合っていたのか、どんな人が好きだったのか……そういえばこの人の髪型も基本的にショートだ。軍属でもあるし、長くする事はないだろう。榛名はいつもお風呂でシャンプーを使っているけれど提督はどんなものを用いるだろう。帽子を取った後ろ頭を見るのははじめてかも知れない。触ってみるとぼさぼさという感じで、やっぱり男の人なんだなあ、と思った。一度榛名が髪を切ってあげた方がいいかも……ああでも、鎮守府にも美容室はあるからそこで切ってるのかな。匂いを嗅いでみると、ちょっと汗臭くてスンとして、軍服と同じだなって――


「……榛名、何をしてるんだ?」


 我に返った榛名は今の状態に気づいた。手が提督の頭に添えられていて、目の先に頭があった。鼻をクンクンさせていた。確実に提督も感づいていると思うと顔全体が火だるまになって榛名は手を動かし始めた。


「ちちち違うのですよ! これは所謂マッサージ法というもので! 古代から西方地帯には特殊な宗教が伝わってですネそこのマッサージ! のやり方では! こう! こうして! 頭を揉んで血行促進! デスヨ!」
 自分でもよくわからない事を叫びながら提督の頭をもみくちゃにしていくと、彼はわあと声を上げて榛名から離れた。そしてごほんと咳払いすると、「戦艦榛名!」と一喝。ピタリと榛名はおとなしくなった。顔に血流が溜まっていく。


「あー、んー、休憩中のマッサージはこれにて仕舞いとする……終わり。いや、以上。良くやってくれた。金剛を呼んできてくれ」
 とんでもない事をしでかしたという後悔にもみくちゃにされながら、榛名はトボトボ部屋を出ていこうとする。そこにやってきたのは金剛だった。明らかに覗いていたようで、顔がニヤけている。


「お姉さま、見ていたのなら入ってきても――」


「それより良い知らせがあるネ、榛名!」
 金剛はニコリとした笑顔で榛名に告げ、次いで提督に近寄った。その背筋が途端にシャンとしたものとなり、凛々しい印象を与える。抵当も知らぬ間に居住まいを正している。


「提督、次の休暇はいつ取れそうデスカー?」
 金剛の問いかけにやや鼻白んだ彼だったが、とりあえずPCをチェックする。スケジュールを確認していたらしく、ふむ、と椅子にもたれかかった。


「そういえば、暫く取っていないな。有給もそれなりに溜まっている……あいつらも最近は大人しめだから、警戒体勢だけで攻勢計画は立っていない。が、それがどうした?」
 胡乱げに見やる提督に、金剛は三枚の紙切れを差し出した。榛名も近づいてそれを見る。


「チケット……か?」
 近くでそれを見つめていた提督が、半券らしきそれと金剛を交互に見やる。彼女はこくりと頷いた。そして提督につきつけ、言った。


「今さっき、談話室で青葉が売っていた、本土の遊園地チケットを手に入れました! 次の休暇の時、私と榛名と提督の三人で、行きまショウ!」


 ……どういうことでしょう?







 この鎮守府から本土まではそれほど離れていない。海によって隔てられてはいるが、船で一時間強ほどの殆ど内地に近い鎮守府には、艦娘らの活躍もあり、船の行き来が復活しつつあった。そのため本土から書籍や嗜好品も十分に届くし、鎮守府の人間が休暇で本土まで出向く往復船が出ている。一月後のとある晴れた日、艤装を外して私服姿の金剛と榛名、そして提督は洋上に揺られていた。船には他にも多くの人が乗り込んでおり、家族連れを見て提督は薄く笑顔を浮かべていた。


「どうかしました?」と、金剛とジュースを買ってきた榛名は尋ねてみた。榛名と金剛はお茶で、提督はブラックコーヒーだ。新発売らしい缶のデザインが目に新しい。


「いや……なんということでもないんだが」
 風に揺られながら提督はプルタブを開けた。デッキの隅辺りでカモメを観察している親子は、わいわいと声を上げている。彼の目はかつて石のようだったが、親子を見る目つきは確かに柔らかくなっていた。
「微笑ましくてな。前まではここも修羅場だったが……今となると、こうも静かに行き来できるのか、と思ってな。そう考えると、妙に感慨深いのだ」


「そうですね」と榛名は提督の横で手すりによりかかり、遠くの海を見つめる。自分たちが出港してきた島が小さく見えた。あそこで皆が見送ってくれた。
「提督が……というより、私たちが頑張ったから、今の海があるんだと思います。だから、提督は誇りを持っていいんだと思います。榛名も、なんだかああいう姿を見られると嬉しいです」


「榛名の言う通りネー」
 その横でお茶を飲んでいた金剛が口を挟んだ。
「あの野暮ったい深海棲艦ドモをやっつけて、私たちがここを確保したって事ですヨー! 提督は、もっと自慢してもいいネー! そうでなかったら、私が他の人に言いふらしてあげましょうカ?」
 金剛がいたずらっぽく笑うと、提督も顔を緩めて笑みを浮かべた。親子連れから注意を移した彼は、目的地である本土の方角に目を動かした。榛名と金剛もそっちを見つめ、やがて時間が経つにつれ注意が自分自身に向いてきた。


 ――この服装、提督はどう思われてるでしょうか。


 この日が来るまでは長かった。金剛がチケットを提示してから、責任者がここを離れるわけにはいかないとゴネる提督を説得するのに一週間(平穏な今こそ本土で英気を養うのが最適、という言葉が一番効いた)、仕事を先回りして幾つか片付け、そしてスケジュールの後ろに回す根回しにもう一週間。鎮守府の面々が全面的にフォローに回ってくれたので時間は相当短縮されたのだが、それでも一番の責任者が基地を離れても大丈夫なようにするのには骨が折れた。そして榛名は、訓練に戦闘に秘書艦の合間に、本土の情報収集に務めたのである。流行の食べ物は。デートスポットは。服装は何が良いか。行く予定のレジャーランド、通称『ミルクシャイン』のおすすめアトラクションは。鎮守府で手に入る限りの雑誌や本にネット情報を基に、夜更かししない程度にかなり頑張って調べた。潜水艦イムヤにスマートフォンも貸してもらって調べた(悲しいことにそういった通信機器を榛名は全然知らない)。


 そして知ったのだが、女の子のファッションって、沼のように深い。


 愛されルック、ガーリー、コスメ、チーク、美白美容インナービューティーパックアイテム夏カジビスチェジュゲムジュゲムゴゴウノスリキレカイジャリスイギョノ……


 榛名は絶望した。選択肢が多過ぎる。選ぶものが多過ぎる。どんな組み合わせが、どんなものを揃えれば良いのかさっぱりわからない。だが金剛に相談するわけにもいかない。途方にくれて現実逃避と訓練ばかりに打ち込んだ日もあったが、そんな時に助けてくれたのが重巡摩耶だった。死んだ牛のような目をした榛名が一人で廊下を歩いていたら声をかけられたのだが、意外な事に(こう言っては失礼だが)摩耶はファッションにも興味があり、発売された雑誌をちょくちょく買い、一人で研究をしていた。写真を貼りあわせてイメージトレーニングも重ねていた。ネットであちこちにファッション評価サイト(戦中なので表立ってはいないが)に接続して、榛名に様々な事を教えてくれた。服こそ揃えられない環境だが、その審美眼はかなり優れているようだった。榛名がかなり悩んでいる事を見て取って、話しかけてくれたのだと言う。


「本当にありがとうございます。榛名だけだと、よく分からずに変な服を着ていく所でした」


「いいって事よ。まぁアタシも一人だけだとけっこう悶々とするからな。こうして一緒に考えてくれる奴がいるってのは嬉しいことさ。あと、分かってると思うけどこれは内緒な!」


 そして現在の榛名は、摩耶と一緒に頑張って考えた服装を着てきた。楚々として物静かな印象を変えるために、上はボーダーカットソーに下はちょっと派手なスカート。これを見た摩耶の印象は「ふわふわして可愛い感じだな! これなら積極的に動いても違和感はないだろうし、かなりイイと思うぜ!」だった。もちろん胸元には提督から頂いたブローチを身につけている。日差しできらきら光るそれは魔力を放つかのようで、身に付ける事自体が非日常を思わせて榛名をドキドキさせた。


 一方の金剛は反対におしとやかな印象を与えてくれそうな色柄のフレアスカートに、上は透明な感じのトップス。靴もどこから調達してきたのかちょっと品があるサンダルを入れており、知らない人が見ればオシャレに挑戦してみたお嬢さん、という印象を与えるだろう。金剛も首からルビーのペンダントをかけており、その様がやはり素敵で榛名は唸りそうになる。姉の女子力、侮りがたし。


 ちなみに艤装に関しては二人が持っている大きめのバッグに妖精さん方式で圧縮されて入っている。休暇中とはいえ航海では深海棲艦に出くわす可能性があるし、陸上でも何か起きれば最低限対応ができる。提督も提督で身分証や鎮守府関係のものを幾つか携えて来ているので、完全に仕事からオフになる、という訳にはいかない。


 ただしこうした榛名の努力とは裏腹に、長袖に上着を羽織った私服の提督は艦娘たちのこうした服装変化には無頓着のようである。榛名はこれも摩耶に手伝ってもらってナチュラルメイクにも挑戦してみたのだが、これも提督が気づいている様子がないのでとても残念だ。とは言えマメに気がつく提督というのも、あまり彼の性格に合わないというか……ううん……どちらかというと大黒柱のようにどっしりしてくれた方が良いというか……惚れた弱みか、或いはあばたもえくぼだろうか、この思考回路は?


「風が気持ちイイネー」と金剛が伸びをする。海原を駆け抜ける風が船を通り抜け、その慣れた匂いは、けれどもどこかに胸の高鳴りを感じさせた。
「あとどれくらいで着くでしょうカ?」


「それほど遠くはないぞ。そういえば、着いてから電車に乗るが……行く所がなんという名前だったか? あのレジャーランド」


「ミルクシャインですね。ミルクのようにとろやかな雰囲気で、日差しのように溌剌とした遊園地、という事で。楽しみですよね」
 さきほどの煩悶はさておいて、榛名は笑顔になった。実際に何に乗ろうかと考えるとわくわくした。パンフレットをフムンと読み込んでいる金剛の横で、榛名は提督に尋ねてみた。
「提督は、どんな物に乗りたいですか? コースターですか? それともメリーゴーランド?」


「来たことがないからよく分からんな」と彼は苦笑いをした。しかし遠くを見る目つきになると、あちらこちらを見回して「観覧車になら乗りたいかな」


「観覧車……ですか?」
 榛名は首を傾げる。


「うん。上からな……海を見下ろしたいんだ。普段は海と並んでいるからな。俺たちが守る海がどんなものなのか。本土から、どういう風に見えるのか。他の人と一緒に見る景色がどんなものか、体験してみたいんだ――ああもう」
 提督はしつこい物から逃れようとするかのように頭を振った。
「どうも仕事から抜けられないな。困ったクセだ」


「いえ、素敵だと思います」
 榛名は素直な顔で言った。
「榛名も、私たちがいる海はどんなものなのか……空から、空母さんの艦載機とは違う目で、見てみたいとは思ってました。だから、提督とご一緒したいです」


「私は【ホリブルハウス】と【ジェットサービング】にも乗りたいネー。二人共枯れすぎデース! youngな若者が二人揃って、しかも休みなのに何言ってるデース!? そんな事言ってるヒマがあるなら、もっとアトラクションの予習をしなサーイ! ほら、【ロデオバンドリング】とか【ミルクカヌー】とか面白そうじゃないですカー?」
 パンフレットを榛名と提督に押し付ける金剛。


 最初は困っていた提督だが、やがて「ほう、イカのミルク焼きか。案外うまいかもしれんな」と冊子をめくり始めた。榛名も横で冊子をめくっては、面白そうな記事だったり、おいしそうなご飯だったりチェックしてみた。そうしているうちに榛名は、自分がこうしてここに来られたのは、他のみんなが手伝ってくれたからなのかな、と改めて思い始める。もちろん土産物として他のみんなから頼まれたリストはあるのだが、それはそれとしても、みんな金剛と自分のために何かをしてくれたのはかけがえのない事実だった。それに榛名は心から感謝し、それから提督と金剛とまた冊子に戻り始めた。榛名たちの声は他の客たちとの声と混ざり、海の一部となっていった。静かな海だった。
 







 やがて船は港へと到着し、接舷した。乗客のための足場がかけられ、アナウンスがかかる。人々が降りていく中に榛名たちは混ざり、歩いて行った。そして提督は久しぶりに――海で生まれた榛名と金剛は始めて、この国の本土へとやってきたのだ。榛名は艦娘だから、海から生まれた。海に沈んだかつての船の残骸から生まれ、人の思念と混ざり合って体が生まれた――座学で榛名たちはそう教わった。戦う少女として出現した榛名は、鎮守府を家として、故郷として過ごしていた。出入りする人の数も制限され、みんな制服を着ていた。作業着や兵装だった。限定された環境でしか生きていなかった榛名にとって、本土とは異郷の地だった。降りていく人々を迎える自動車。見慣れない鳥。やや煙たい空気。それらが渾然一体となって榛名を包み込む。だから慣れた様子で人混みをかき分けてバスを探す提督についていくのは、ちょっと大変だった。金剛も最初は面食らった様子だったが、やがて気を撮り直すとズンズン前へと進んでいった。きっと金剛の適応力は榛名のそれよりも高い。


 バス。駅。電車。人々。駅弁。知らない空。知らない建物。艦娘としての常識では分からなかった事が、次々と目に飛び込んでくる。知識としてしか知らなかった事が眼前にやってくる。きっと他の艦娘たちも第一印象はこんな所に違いない。金剛は早くも適応していったが、榛名は慣れていない事には時間がかかる性格のためか、ややモタつき気味となった。とは言え提督は榛名に優しくそれを教えてくれた。電車の乗り方、料金の払い方、そして空の見上げ方。それらを聞き、納得した榛名の底で、提督の両親はこの地にいるのだろうか、と疑問がやってきた。榛名と違って提督は人の子だ。なら親がいるに違いないが、生きているのか死んでいるのか? それとも別の地に行くのか? 今日の予定はこのままミルクシャインで遊んでからホテルに行き、翌日は昼前に船に乗り込んで鎮守府に帰る。提督については一つも触れられていない。だがそれは、榛名が立ち入って良い領域なのか? 不用意に踏み込めば、そこにあるのは提督の怒りなのではないか? だから榛名は立ち入ることができず、ただ流れる風景を目で追った。金剛は武者震いの一種ネ、とうそぶいて電車の中でグースカ眠っていた。おそらく使い方が間違っている。


 そして到着、ミルクシャイン。元は牧場だったというこの遊園地には多くの人が詰めかけ、喧騒が賑やかしていた。金剛はくるくると回りながら我先に入り口に向かっていき、榛名と提督は苦笑いでその後を追った。かくして榛名たちは遊園地へと入場し、入り口を潜った榛名は金剛の言葉を思い出す――


――榛名、お姉さまは榛名の恋路を応援してあげるネ。そのために遊園地のticketを貰ってきたヨ。私がサポートして上げるから、榛名は提督に告白するといいネ!


 でもお姉さま、あれはお酒の席の事ですし、提督にはお姉さまの方が……


――NoNo榛名、普段の態度を見ていればすぐに分かるデース。榛名は提督にべた惚れネ! だから榛名は、私の事なんて気にせずに提督と楽しむといいネ! これはお姉さまからのオーダー、OK?


 ……お姉さま。ごめんなさい。そこまで考えさせてしまうなんて、榛名は至らない子です。


――ハールナっ、あなたは考えすぎヨ! そんな事考えないで、素直にお礼だけ言えばいいネー! 何かしてもらったら、thank you! が基本ですヨ!


 お姉さま。……はい、ありがとうございます! 榛名、頑張ります!


 そして始めに乗ったのが【ジェットサービング】。とにかく人気のアトラクションなので、最初に乗っておこうという考えだったのだ。岩山をくぐり抜けては湖を通過し、空を地面を動き回るジェットコースター形式だった。生まれてからそんなものに乗ったことのない提督と榛名は顔をひきつらせたが、金剛が後ろから背を押して中に押し込んだ。


「ててててて提督、榛名、ちょっと大丈夫じゃないです! うう腕を、掴んで良いですカ!?」


「おお、おう! 良いぞ榛名! 存分に掴め! 苦しゅうない!」


 恐怖のあまりテンションが変なことになっている二人を金剛は笑いながら見ていた。そして手持ち無沙汰になったのか、「テートク私も怖いデース♪」とふざけて金剛も腕を絡めてきた。提督は直立不動になりながら、ガチガチになりながらそれを受け止めた。後で彼に聞いてみると、全然覚えていなかったという。ノロノロと人の群れを進んでいき、そして番が来た。榛名と提督の顔は半ばデフォルメ調だった。リラックスするネ、と金剛が背中をどやす。


「もう、男がだらしないネ! そういう時は女の子をしっかり抱きしめて、『俺がいるぞ、心配ない!』とか言ってやるのが筋ヨ!」


「うう、うむ! そうだな! 榛名、俺がついてるぞ!」
 提督は公衆の面前で榛名を思い切り抱きしめたが、余裕が全くない榛名は気づいていない。というより熊にハグされた感覚だった。しかしどこかでスイッチが入り、


「ありがとうございます提督! 榛名、戦えます!」
 榛名の目に力が入る。炎が灯る。しっかりと提督を抱き返した榛名は、順番どうぞー、とスタッフが示した座席に座り、ベルトを締めて――


 惨状だった。


 悲惨だった。


 榛名は思い切り悲鳴を上げた。横の提督も叫んでいた。金剛は笑いと怖さがやや混じった声で、しかし楽しげに叫んでいた。ほわあああ、と自分の口から知らない声が流れていった。うおわああ、と横で知らない声が聞こえた。


 風が、榛名の顔をなぶる。風景が、経験した事のない速さで流れていく。


 ちなみにパンフレットには【当遊園地のイチオシ! どこにもないスリリングなコースとハイスピードがあなたをお出迎え♪】と記されていた。


 乗っていた五分は伝説の五分として榛名の記憶に残るが、こうして榛名はジェットコースター嫌いとなった。


「……榛名、限界です」
 コースター前のベンチで榛名はぐったりしていた。提督も同様であった。荒く息をつく彼に余裕はなく、横の金剛は買ってきたジュースをうまそうに飲んでいた。提督も飲むネ? と渡すと曖昧な表情で彼は口をつけた。


「……フー。なんだって一般人はこんなものに乗りたがるのだ? 俺には面白さが分からん」
 ジュースを返して首を振る提督。金剛はしげしげとストローの飲みくちを見つめてから、改めて口をつけた。榛名はようやく人心地がついてきて、息を整える。


「提督……それでしたら、あれはどうでしょう」
 榛名は指差した。よく見てみると眼前には白色の湖が広がっており、岸辺には【ミルクカヌー】と記してあった。どうやら制限時間を決めて、時間内で船を漕ぎながら風景を楽しむという形式らしい。並んでいる人はそれほどいない。
「パンフによると、この遊園地の目玉である白い鯉を見ることができる、ともありますね。あそこで餌を売っていますし」


 数分後、三人はカヌーに揺られて湖の上にいた。カヌーは大きめで転覆する心配はなく、子供用にかシートベルトも取り付けてあった。今度は提督と金剛が横並びになり、一緒にオールを漕いでいる。榛名はその前に座り、ぼーっと提督や金剛や風景を眺めていた。そして周りを見渡してみると、親子連れからいろいろな年代の人が周りをウロウロしていたり、アトラクションに並んでいた。恋人同士らしい人々もいた。手をつなぎながら歩いていて、年頃は榛名と同じぐらいだった。羨ましいな、と彼女はぽつりと思った。


「どうよテートク、水の上に戻ってきて、調子出てきたんじゃないデスカ?」
 金剛がクスクス笑って提督も笑う。
「たまにはこういうのも良いデショ? 骨休めネ、骨休め」


「確かに、最近は気が張っていてあまり休めなかったからなぁ」
 提督が言った。燦々と晴れた日差しが照りつけて、彼の黒髪を彩る。
「こうしてお前たちと一緒に遊べて、良かったと思う」


「榛名もそう思います。提督、これが終わったらどうしましょう? どこかで何か食べますか?」


「んー、そうだなあ。イカのミルク焼きも良さそうだが……他に乗りたいものとか、あるか?」


「私は特に何でもいいネ」


「榛名も同じです。暫く、ここでぼんやりしていましょうか」
 そうして三人は黙った。黙ったまま空を見たり白く彩色された湖を見つめていると、これじゃいつもと同じだな、と提督が笑った。鯉がぷかりと浮かんできて、餌をねだるように口をパクパク開けた。金剛がそれを投げてやり、魚はとぷりと湖に戻った。


「でも榛名は、こうしてのんびりする事ができて、幸せです。前は……前までは、戦ってばかりで、あまり考えられませんでした。あっ、でも、戦う事が嫌な訳じゃないんですよ!」
 榛名の言葉に提督は分かったと頷く。
「こんな世界とか、風景とか、面白さがあるなんて、わかりませんでしたから。だから、今日は提督とここに来られて、とっても良かったです。榛名、今最高に幸せです!」
 まだ午前中なのに気が早いネ、と金剛が言う。


「俺もそう思うよ」と提督が返した。
「お前たちとは共に戦う事しかしなかったからな。こうして一緒にのんびりできて良かった。まあ、ずっとダラダラしてたら国から文句が出そうだが……とは言え、こうして穏やかにいることは吝かではないよ。榛名、来てくれてありがとう。金剛も、チケットを取ってくれてありがとう」
 榛名はニコリと笑顔になった。金剛も笑顔になったが……やがて、これじゃ全然進展しないネ、と呟いた。


「でもテートク、艦娘の事はどう思ってるネ? 純粋に仲間として見てるデス? それとも、もっとカワイイ所とか、見たいと思うデース?」
 金剛が提督に囁きながらニヤリと笑う。榛名が意味を知って赤面した。よくわかっていない提督はハテナマークを浮かべている。


 ざあ、と風が吹いた。ちゃぷりちゃぷりと水音がして、榛名は、いつのまにか自分たちが湖の真ん中にいる事に気づいた。言い換えれば、誰にも声が聞こえない所にいる事に。そして金剛の瞳が怪しげに揺らめく事に気づいたのだ。彼女は榛名も知らなかった何かを隠し持っていた。


「つまりテートク。テートクは、戦う事抜きで、私たちと一緒にいられるネ? つまり、女の子として……付き合える、デス?」
 半ば小声で、半ば秘密を打ち明けるように金剛が言った。彼女の顔も榛名と同じくらい赤面していた。榛名には計り知れない静かなものが、水面下を動き回っている事だけが感じられた。ずぶずぶと榛名の心を這いまわるそれは、おそらく嫉妬という名のものだろう。この瞬間に榛名は真の意味で了解した。


 金剛も提督を好きなのだと。


 自分と同じくらい。


 そして同時に、それを確かめたい気持ちを榛名は否定できなかった。自分の恋心が実るか実らないのか。隠微に隠していたい少女も中にはいるだろう。だが金剛は、それを外に出さずにはいられない。艦娘でなく少女として、一人の小さな体に収められた魂として、提督を求める気持ちが強すぎた。それを持つのは榛名も同じだから、彼女には否定できない。嫉妬が消えた。憎しみはなかった。そこにあるのは、恋焦がれる乙女の行く末にある帰結だった。榛名がこの休暇に結ばれる事を夢見ていたように、金剛もまた彼と縁を結ぶ事を信じていたのだ。榛名と共に。なら榛名に何が言えるのか。


【ゴメンネ】と金剛が目配せをしたのがわかった。
【sorry榛名、私は後ろにいるべきだったけど、やっぱり言っちゃったネ。本当にゴメン、榛名】


【いいんです】と榛名は返した。
【榛名も提督の事が大好きですし、お姉さまもそうでしたら、伝えないわけにはいきませんし】


 多分榛名は提督と金剛が結ばれたとしても、涙を飲んでチアを送るだろう。それができる事だから。


 提督は黙っていた。金剛の顔を見つめながら口を閉じていた。その顔は無表情にも見えたし、あるいは幾千もの考えを反駁させすぎて、かえって感情が止まってしまった顔のようにも見えた。口を開きかけて閉じて、また開いた。金剛も膝の上で手を組んで、ただ待っていた。異性としての――男性の、返答を。


「すまない」
 提督は返した。
「金剛、お前の期待には応えられそうにない。俺はあくまで提督なんだ。艦娘を指揮する立場だ。そうした人間として、感情を……恋愛感情、を、持つわけにはいかない。だから、申し訳ない」
 提督は深々と頭を下げた。金剛は手にしていたバッグを掴んだ。力が篭っているのが分かった。金剛は最初はなんでもない顔を装っていたが、やがて眉に皺が寄った。目にどろりと力が入って、やがて涙が一筋こぼれた。すぐにそれを拭いた。手を差し伸べようとした提督の手を、榛名が遮り、首を振った。金剛は何事かを言いかけてはしゃくり声を上げて、うめき声になって、バッグの中身の艤装を取り出した。


「金剛――」
 提督が口にした瞬間、既に彼女は艤装を身にまとっていた。そのままミルクの湖の上に出ると、ごめん、テートクと叫ぶように言った。そして、いつもの艦娘姿に戻った金剛は、周りの客がざわつき視線を送る中、まっすぐ湖を渡って遠くまで駆けて行った。


 榛名はすぐに艤装を身につけた。


「榛名、すまんが金剛を追ってくれ。俺だけじゃ時間がかかる」
 提督は既にオールを手にしていた。船を漕ぎ始める。榛名もミルクで出来た湖の上に出る。すると驚いた鯉たちが遠くへと離れていった。分かりました、と榛名が返す。


「それから、提督、すみません。金剛お姉さまを、代弁します」
 とぎれとぎれに榛名は言って、彼を振り返った。ボートから離れ際に、榛名はこう叫んだ。


「テートクの、馬鹿っ!」





 榛名は駆けた。ひたすらに走っていった。艤装の方が速いからこのままでいた。まわりの人を押しのけ、視線も気にせず駆けていく。パンフレットによるとこのミルクシャインはかなり広大で、探すのには骨が折れた。だが金剛はここの外には出ていない、という予感があった。とにかく榛名は走っていった。


 やがて金剛を見つけた。かつての牧場の名残を留める、牛たちがたくさんいる柵の外で金剛は座り込んでいた。既に艤装は解いてあり、令嬢めいた私服に戻っている。榛名も倣って解いた。


「ビッグシスターなのに、恥ずかしい所、見られちゃったネ」
 顔を真赤にした金剛が言った。泣きはらしたのだろうか、顔がくしゃくしゃで酷い。榛名は自分のハンカチも差し出した。ありがとネ、と金剛が受け取る。
「一世一代の博打をして、失敗しちゃったネ。これじゃ鎮守府に帰ってから、みんなに合わす顔がないネ」


「そんなことないです。お姉さまはすごく勇気を振り絞って、榛名には格好良く見えました」
 榛名は頷いた。失敗であれなんであれ、金剛は心のドアを開いたのだ。しかも榛名の目の前で言ってのけた。多分、榛名に内緒で告白する事で、事態がねじれるのを避けようとしたのだろう。榛名は金剛の横に座った。ウモウ、と牛の声がする。


「提督には、一目惚れだったネ」
 金剛が言った。
「榛名より少し前に生まれてたからネ。とにかく、一発で落ちたのが分かったネ。すっきりした鼻筋に、精悍な顔つき、使命を帯びた全身のオーラ……とにかく、すぐ好きになったネ。割りとふざけ半分に見えたかも知れないけど、結構本気だったヨ。だからいろいろべたべたひっついて、アピールもしたネ。これが軍属でなかったら、attackにattackを重ねて、多分無理やりゴールインしてたネ……榛名が、来る前までは」
 空を向いた彼女の表情は朧げで曖昧だ。


「すぐ分かった。私と同じくらい提督を好きな子が……それに姉妹だなんて、ショックだったネ。どうしようか、すごく悩んで迷ったデス。でも、提督が好きなのは変わらないって、気づいたネ。だから、榛名の恋路は応援しよう、でも私の恋路も進もう……って、思ったネ。全く、女の子にここまで気を使わせるなんて、悪い男ネ」
 金剛は若干腫れた、けれど晴れがましい目で榛名を見た。悪い人です、と榛名も返す。金剛が鼻をすすった。


「今回のこの遊園地も、榛名を提督とくっつけてあげたい、でも私も一緒になりたい……そういう、不確かな所から来たかもしれないネ。実は、私自身もよく分からないデース。くっついてしまえばいい、くっつかなければいい、でもくっつかないではいられないし、そうしたい……いろいろ混ざって、とうとう分からなくなったネ。だからあんな所で告白したのかも知れないネー」
 金剛は少し笑った。同じ提督を好きな身上として、理解できた。


「ま、抜け駆けしたのは悪いと思うケド……でも、おかげで榛名には恋のライバルが一人減ったネ。だから、後はあなたが頑張る番ネ。私が空気をぐちゃぐちゃにしちゃったから、難しいかもしれないケドネ……まあ、私はちょっとスッキリしたから、後は、応援するだけネ!」
 金剛は立ち上がり、尻についた草をぽんぽんと叩いて落とした。榛名も立ち上がると、彼女たちの匂いにひかれたのか、牛が一頭二頭こちらにやってきた。服を食むこそしないが、鼻を近づけて匂いを嗅いでいる。なんだか応援されているようで嬉しくなった榛名は、牛の鼻面をなでた。ンモウ、と低く鳴いた。そうしていると提督が走ってくるのが見えた。金剛を見つけた段階で、彼の通信端末には位置情報を送っておいた。


「金剛……榛名。ここに、いたのか」
 彼は息を落ち着かせて、周りを見回す。柵や牛を見て彼はため息をついた。
「全く、急に消えるから心配したぞ。怪我はないな? それと、さっきの事については――」


「テートクっ!」
 金剛が突然叫んだ。提督がお、おうと姿勢を正す。その様は指揮官と部下というより、まさに男女の間柄のようで榛名は苦笑した。
「私はテートクに告白しましたが、それは実りませんでしたデース。ついでに私のプライドはズタズタにされて、とっても傷心デース。でも、それは許しマース。代わりに、一言良いですカ? ちなみにこれは艦娘とか海軍とか関係なしに、男と女の関係として受け止めてもらいたいデス」


「う、うむ」
 提督は予想していなかった態度なのか、おほんと咳払いした。


「では――バカーッ! ファック! 女の子の告白をないがしろにするなんて、マジでひとでなしデース! 最低!」
 金剛の叫びは轟々と提督に突き刺さる。
「アホっ! 朴念仁! idiot! トーヘンボク! 馬に蹴られて死んじゃえデース! オタンコナス! stupid! 禿げちゃえ! ……以上! アリガトゴザイマシタ!」
 金剛は勝手に一礼して勝手に息をつくと、榛名の腕を取った。それから目を白黒させた提督の腕も掴んで三人で動き始める。どこに行くんだ、とぎくしゃくした声で彼が尋ねた。


「もう一度【ジェットサービング】に乗るネー! スッキリしたいカラ! さ、これで変なごたごたはオシマイ! 行きまショ!」








 それから三人は夕方まで遊んだ。


 告白騒動の次はまた【ジェットサービング】に乗った。なんと時間によってコースが変わるという他の遊園地にはない仕様によって、榛名と提督はまた絶叫した。金剛は今度は笑顔混じりの絶叫をこなして、次は休むまもなく【ローリンローリン】。丸いドラム缶みたいな中に入って、体が固定されると上に下にと回り始める。コースターとはまた違う刺激に金剛は大笑いした。提督は死にそうだったが引きずり回された。榛名も似た感じだった。お昼の時間帯になるとレストランは混むので、三人はベンチに並んでイカのミルク焼きを食べた。牛乳の風味が本当になんとも言えなかったが、提督は満足していた。午後は【ホリブルハウス】から始まった。子供向けのアトラクションと鼻で笑いながら金剛は入っていき、本気で怖いので腰を抜かしそうになっていた。井戸から吹き上がる悪霊、刃物を振り回して追いかける狂人、突如として開く隠し戸と怪物。金剛としては榛名と提督を抱きつかせようという魂胆だったらしいが、その本人が榛名にしがみついていて榛名は身動きが取れなかった。【ロデオバンドリング】、【フラワートレイン】【ウサギコースター】……幾つも幾つも乗り、叫び楽しみ、大笑いをして怖がって、やがて時間は過ぎていく。榛名と、提督と、金剛の、かけがえのない時間が。過ぎ去るのが惜しくて、途中でカメラを買って一枚撮った。変な顔だったからもう一枚。ポーズが気に入らなくてもう一枚。またカシャリ。


 楽しかった。そして時間が消えていくのが、これほど残念に思える事はなかった。思い出が積み重なり、同時に徐々に日が落ちていく。


 気が付くと夕暮れだった。







 最後に、来る前に話が出た観覧車に乗ることにした。特段変わった特徴もなく、極普通の観覧車だった。提督と榛名が乗り込んだ時、金剛が「私はたくさん乗って疲れたから休んでるネー、後ヨロシク」とするりと下りていった。係員と提督は目を白黒させたが、榛名は無理やり提督を押し込んだ。既に打ち合わせ済みだったのだ。


 二人で一緒にトイレに行った時の事だった。出てくる直前、金剛が榛名に話しかけた。


「私が最初に迷惑かけちゃったから、ちょっと盛り上げてあげるネ。あの観覧車なら、じっくり話もできるカラ。have a good time! 榛名っ」


 そういう事で二人は観覧車に乗り込み、鉄色のベンチに対面で座り込んだ。提督はやや座り心地が悪そうにして、榛名と言えば……何を言っていいか分からなかった。ごんごんと観覧車が上がっていく。しかし榛名には何も思いつかない。そもそも先ほどは金剛が提督に挑んで玉砕したのだ。よくよく考えてみたら、相当にハードルが高い。一日に二回も告白イベントなんて、テレビにもなかった気がする。どうしよう、と思うと汗が流れる心地だったが、榛名はめげなかった。話しかけてみた。


「外の景色が、綺麗ですね」
 横を向くと、海側に面している遊園地なので、遠くに海が見えていく。平らに広がるそれが、徐々に大きくなっていくのだろう。気分もなんだか楽になった。
「榛名、上から海を見下ろした事はありませんでした。すごく綺麗だと思います」


「うん。子供の頃、父が観覧車に乗った話を聞かせてもらった。初等学校の頃だったかな」
 提督の言葉に榛名は目の前を向いた。夕日に照らされた彼の目は、昔を見通すように透き通っていた。
「父は母と一緒に乗って、海を見つめたらしい。もう深海棲艦も暴れてたしで、俺は乗る機会はついぞなかったが……両親は、こんな景色を見ていたんだな」
 提督は歯を見せて笑った。
「榛名は、そのブローチ、似合ってるな。綺麗だ」


「あ、ありがとうございます」
 榛名の顔がぼっと熱くなる。ブローチが熱を持ったようで、触るのがなんとなく躊躇われた。
「提督にそう言ってもらえて、本当に嬉しいです」
 それから提督は少し黙った。榛名も外を見ながら静かにしていた。やがて思考がさっきの金剛に向かっていった。なんとなく、金剛のペンダントも褒めて欲しかったからだ。榛名は口を開いた。


「あの、提督。お姉さまの事についてなんですけれど」


「ん、ああ……金剛については、済まない事をしたな」
 提督が頬を掻いて、話し始めた。
「とは言え、あれも……本当の事なんだと思う。俺は、提督だ。艦娘みんなの命を身上を預かる立場で、他にうつつを抜かす余裕は、ないんだ。ただ、言い方が厳しかったな。どうも慣れない事だと、ぶっきらぼうになってしまうんだ。悪い癖だと思う。ただ、な……」
 提督の歯切れが悪い。ガリガリとショートヘアを掻いて、榛名に目をやった。視線が落ちて、また浮かんだ。
「やっぱり言わないと不公平だよな」


「何がでしょう」


「……今の話と思い切り矛盾するんだが……その……な。俺は榛名の事を憎からず思うというか……普段執務をしている時から気になるというか……ええい! そうじゃない!」
 提督は首を振って榛名を見据えた。


「俺は、お前が気になるのだ。榛名。仕事をしてる時も、出撃を見守る間も……それに、今も。だから、じゃないが……さっきの金剛の言葉にも、過剰に反応したのかも知れん」


 言葉がじわじわと榛名の中に溶け込んできた。耳から頭に。頭から胸に。胸は全身に。そして榛名は、自分が線の上に立っている事を理解した。それがどんな線なのか理解しはじめると全身が燃えそうだった。


「それ、は、……提督は、……榛名、の、事を」
 言葉がぎくしゃくとしか出てこない。夢見た事が、遠いのに近い。一光年は先に見えていたものが、いつのまにか手を伸ばせば届く距離にある。


「そう、だな。俺は……お前が、好きなのだと、思う!」
 最後は尻上がりに声が大きくなった。提督も顔が赤い。榛名も顔が赤い。
「責任者としての地位とか立場とか、そういうのを抜きにして、人間として、俺はお前が好きなのだ。……榛名は、どうだ?」


 点滅。赤熱。発光。光が眼前にある。夢物語があった。恋の一途な物語と思っていたものが、複雑な模様をとって提督の体に記されていた。もちろんです、榛名は提督の事を好きです――すっぱりと言い切れればよかったのに、言葉が出てこない。喉がからからで、ひゅうひゅうと息がもれた。このまま消えてしまえれば。幸せと、もどかしさを胸にしながら天使のように消えられれば……だが目の前には、答えを待ちわびている人がいる。だから榛名は、代わりに動いた。席を立って、提督の横に座った。彼の顔をこちらに向かせると、こっちの顔を乱暴にぶつけた。


 唇と唇がぶつかりあった。


 夢と現実とは違うもので、彼の唇はなんとなくカサついていた。榛名もベストとはいえず、準備もへったくれもあったものではなかった。だが雰囲気はまあ良いかも知れないし、プロセスも合格ラインだったかもしれない。とにかく、そういう事だ。唇同士をあてたたまま、榛名は目を開けている事に気づいた。目を瞑ると、暗闇に体温が光って情けないほど体が震えそうだった。熱と熱が重なりあって、心がぐちゃぐちゃになった。


「……提督、好き、です」
 かつて布団の中で口にしたかもしれないセリフが、こぼれ落ちた。それ以上は彼の顔を見ていられなくて、榛名はうつむいた。提督は何かごにょごにょ言ってから、横にいた榛名の手に、自分の手を重ねてくれた。温かかった。空と海が、目の前にあった。


 しばらくそうしていた。







 提督が榛名を好きになった過程を、聞いた。


 はじめは榛名も他の艦娘と同じ立場で扱っていたのだという。はじめて異性というものを意識しはじめたのは、あの沖ノ島海戦の後、酔っ払った彼を部屋に連れて行った後だ。榛名が手を重ねた事を、提督は覚えていた。案外柔らかいんだな、というのがはじまりだったという。それから昼食や夕食を榛名と食べる際、なぜか背の高さや皮膚の柔らかさが気になり始め、次は内面を知りたくなった。そこから恋に移るのにそう時間はかからなかった。だから榛名にブローチを選んだり、髪の匂いを嗅がれたりした時は、本当に焦ったのだと言う。金剛については、残念ながらそれほど意識はしていなかった(ただし、本当にペンダントが似合っているという言質は引き出せた)。それらを榛名は、満ち足りたような気持ちで聞いた。それから、あくまで鎮守府では艦娘と提督として接するから、あまり表には感情を出せない事、恋愛ができるのはたまの休みぐらいという事、別の機会には、二人で散策したり旅行もしてみたい事を、話してくれた。榛名は了承した。どれかが守られないかもしれないが、どれかは守られるだろうと思いながら。


 そして彼の事も聞いた。これは機密だと念を押しながらも、子どもの頃だったり、士官学校での事だったり、好きな食べ物を。趣味を。鎮守府の責任者である想いを。名前も耳にした。榛名はそれを胸に仕舞っておこうと、思った。誰にも口にせず、ただ榛名と提督の、二人きりの秘密と。


 かつて深海棲艦が満ち溢れ、今は人が取り戻した海は、いつまでもうつくしい色を保っていた。


 下りてから榛名は金剛の元に向かい、結果を話した。金剛はハグで答えてくれた。良かったネ、榛名。どうしてか分からないが榛名の目に涙が溢れて止まらなくなって、金剛を抱きしめたままわんわんと泣いた。生まれてはじめてと思えるほどの大泣きで、提督と金剛が慰めてくれた。榛名は彼と彼女の手を握って、榛名が、みんなを、守りますと口にした。宣言と言っても良かった。泣き止んでから、夕暮れの遊園地を歩いて回った。案外広くて、途中で足が疲れてしまった。途中で金剛があることを耳打ちしてくれて、榛名の顔がまた赤くなった。


 やがてミルクシャインを出て、三人は予約していたホテルへと向かった。バスが出ていたのでそれに乗って、慣れてきた人混みに紛れ込みながら榛名は提督の横にいた。金剛は気を利かせて一つ前の座席に座り、二人は一番後ろに座ることが出来た。その時に榛名は、そっと提督に耳打ちしたのだった。


「今夜、提督のお部屋に、お邪魔してもいいですか?」


 それ以降の思い出は海辺の空気に消えていった。







 後日、鎮守府に戻った榛名が目にしたのは青葉タイムズによる特別号外【提督と戦艦榛名が絆を深める! 鎮守府内での禁断の恋愛!】というスポ新めいた見出しだった。青葉の金剛に対する特別インタビューが載っていて、あの観覧車以外の事は遊園地での出来事がだいたい載っていた。どうやらチケットを四人分用意していたらしく、三人の後を追って後から尾行してきたらしい。全く気づかなかった。ヒートアップした榛名がもにゃもにゃ言いながら金剛と青葉に詰め寄ると、


「だってそうでもしないと、榛名ずっとsecretにしかねないからネ」と金剛。


「おもしろいじゃないですかぁ!」と青葉。青葉を特別訓練でしごく事を内心で決めた榛名ではあったが、新聞を目にした提督が、


「なんだ、榛名が可愛く写ってるな」と口にしてくれたので何とも言えなくなってしまい、鎮火したのだった。


 そして最近は、提督が榛名を秘書艦にしてくれる割合が増えてきた気がする。それに対して金剛はブー垂れていたが、とはいえ榛名を応援するスタンスであるのでまんざらでもなさそうだ。常に榛名は提督からのブローチを身につけるようになったが、それを褒めてくれて嬉しいとも思う。そして秘書として仕事をしている時、たまに手と手が触れ合った際に握りあわせてみたり、休憩時間の時に擦り寄ってみる。はじめの頃は提督も公私の区別と嫌がっていたが、次第に慣れてきて、今では特に何も言わないし、鍵をかけてからこっそりキスしてみても怒らなくなってきている。たまに提督も返してくれて、榛名はその際に無上の喜びに包まれる。もっともっと提督の事を知りたいし、もっともっと触れていたい。彼の匂いを嗅ぎたい。抱きしめ合っていたい。繋がり合っていたい。


 戦闘は長く厳しいものではあるが、こっそり提督が手を繋いでくれたり、物陰で榛名をハグしてくれる事もあるので、榛名は耐えられそうだと思う。金剛と並んで主力になっていく榛名は、長期戦の様相を期しつつある戦争においても、彼と一緒に戦い抜こうと考えている。


 今日も榛名は、提督が見送る中で金剛や他の重巡、空母と共に出撃する。エメラルドのブローチと、彼との絆を胸に仕舞いながら。


 それが榛名を強くさせてくれると信じているから。
 

《終わり》
復路鵜
2014年12月24日(水) 21時08分33秒 公開
■この作品の著作権は復路鵜さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 榛名が恋をしながら秘書艦したりプレゼントもらったり遊園地に行ったりするお話です。金剛お姉さまも大活躍ですが、さすが長女ですね! この提督は非常にトーヘンボクですが善人のようです。
 ちなみにこの作品のコンセプトは『超甘々でベタベタなラブコメを書いたらどうなるだろう』というものでしたが、書いてるうちに捻れたり折れ曲がったりでいつも? 通り? みたいな? あと直しながら、スゲー描写濃すぎじゃない? という所がちょっと出てきたので、次辺りはもっとシャープに削りたい所です。
 タイトルは某氏の某SSを参考にしました。リスペクトって言って!

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